相撲協会にバレないうちに…”K-1転向”を決断した曙は九州場所直前に東関部屋宿舎から”夜逃げ”した
いまから21年前の2003年12月31日は、日本のテレビ史においても特筆すべき一日となっている。日本テレビ、TBS、フジテレビがいずれもゴールデンタイムに格闘技を中継。なかでもTBSが放映した「Dynamite!!」のメインイベントとして行われた「曙太郎対ボブ・サップ」は注目度が高く、試合が中継されていた23時00分~23時03分の4分間は、視聴率でNHK紅白歌合戦を上回った。もちろん、民放番組が視聴率で紅白を超えたことは後にも先にも、このときだけである。 「私が全部買いましょう」人たらしの天才・石井館長の言葉に曙が“溶けていく” 元横綱は、いかにして大晦日の舞台に上がることになったのか。12月19日刊行の『格闘技が紅白に勝った日 2003年大晦日興行戦争の記録』(細田昌志著、講談社刊)から、その舞台裏をお届けする。 前編<「私が全部買いましょう」人たらしの天才・石井館長の言葉に曙が“溶けていく”【2003年 曙太郎vs.ボブ・サップ 内幕】>
九州場所の因縁
話は1975年にさかのぼる。 『日刊スポーツ』(1975年5月1日付)は1面トップで、人気力士だった高見山のプロレス転向を大々的に報じている。 《ハワイ出身の人気力士、高見山大五郎(30)=東前頭三枚目、本名、ジェシー・クハウルア=がプロレスラーとして登場することになった。これは昨年11月の九州場所直後、ハワイの某有力プロモーターと高見山の間に米国人弁護士が立ち会って「引退後プロレスラーに転身する」という契約が取りかわされていた事実がこのほどわかったもので、相撲界引退後はホノルルに高見山レスリング・ジムを開設、準備が整い次第旗揚げする予定》 曙の師匠である東関親方の現役時代のトピックである。記事を追うと、74年の九州場所の最中にハワイの後援者が高見山を訪ね、プロレス転向を打診、合意に達したのち、契約までかわしたというものだ。谷川貞治が曙に接触したように、奇しくも九州場所である。 東京から遠く離れた博多の地となれば、他業種の人間が力士に接触しやすいのは事実なのだろう。高見山自身は「プロレスなんか絶対やらないって約束するよ」(同)と否定し、話は立ち消えになったため、ゴシップの域を出るものではないが「実現寸前だった」という証言もある。 この時期『大相撲ダイジェスト』と『ワールドプロレスリング』のプロデューサーだった永里高平は、生前「ジェシー(高見山)は契約も交わしていて、当時の春日野理事長が莫大な違約金を払って慰留した」と述壊している。交渉相手はハワイのマフィアで、高見山自身、角界に対する慢性的な不満を抱えていたのは、仄聞されるところではある。