「ADHDに生まれなければよかった」と娘に言われるも 小島可奈子が子どもの特性をブログで発信する訳
■学校以外の選択肢もあると教えるように ── 実際に特別支援クラスに入ってみて、いかがでしたか? 小島さん:授業参観などを通して娘が学校で過ごす姿を見ると、正解だったと思っています。特に参加日は私が観に来たことで娘がいつも以上に大騒ぎするため、普通のクラスでは大変なこともあったかもしれないと思います。 特別支援クラスの授業だけでなく、一部は通常のクラスでも授業を受けています。学校には特別支援クラスで教えるための勉強をしてきた先生も在籍されていて、娘に合った教え方をしてくださるのもありがたいです。環境に恵まれていると思います。
── 大変だったことはありますか? 小島さん:小学校4年生のときに、一時期学校に行けなくなったことがありました。その直前に、娘に夢遊病の症状が出始めたんです。夜中に起きてうろうろしたり震えたりするのですが、朝になると覚えていない。病院で診てもらったところ、子どもにはたまに起こることのようなのですが、ストレスが原因ではないかと言われました。 娘にいろいろと話を聞いてみたら、先生たちが娘のためを思い一生懸命指導してくださっていたのですが、それに応えようと娘が少し頑張りすぎてしまっていたことがわかりました。みんなが自分のことを思ってやってくださっている行動だと娘もわかっていたので、つらいことをなかなか言い出せなかったようです。私も娘にそのような繊細な部分があるとは気づけていませんでした。
それで学校とも相談して、特別支援クラスだけでなく学校にたくさん居場所をつくってもらうようにしたんです。ひとつの場所で無理をしすぎずに、週に一度はスクールカウンセラーと話をしたり、大好きな校長先生に会いたいときに会いに行けるようにしてもらったり、保健室で休憩させていただいたり。そのおかげで今は元気に通えています。 ── それはとても大変でしたね。 小島さん:そうですね。ただ、私も小学校のときにいじめられて学校に行きたくない時期があったんです。そういう「壁にぶち当たること」って、生きていれば誰しもが通る道なのかなと思うんです。ただ、そんなときに大切なのは、娘が追いつめられないようにすることだなと。いざとなれば家庭教師やフリースクール、他の学区の小学校など、今の学校以外にも学ぶことができる場所はたくさんあるからね、ということは娘に話しました。小学生は「学校が人生のすべて」と思っていると思いますから、人生の選択肢のカードをたくさん持っていたほうがいい。娘も安心して通えると思ったんです。