「ADHDに生まれなければよかった」と娘に言われるも 小島可奈子が子どもの特性をブログで発信する訳
グラビアアイドルとして活躍し、現在は会社経営をしながら11歳の女の子を育てる小島可奈子さん。自閉スペクトラム症とADHDと診断された娘さんの子育てについてお話を伺いました。(全3回中の1回) 【写真】自閉スペクトラム症を公表している娘さんと小島可奈子さん お宮参りの写真から近影まで(全14枚)
■優先すべきは「娘が過ごしやすい環境」 ── 娘さんが自閉スペクトラム症、ADHA(注意欠陥・多動性障害)と診断されるまでの経緯を教えてください。 小島さん:娘が生後半年ごろに、動いているものを目で追う「追視検査」をしたんです。そのときに医師から娘が目でものを追いかけておらず、発達障害の疑いがあるかもしれないと言われました。とはいえ、まだ生後半年。まだまだ判断がつかないので、しばらくは定期検査を受けつつ経過観察することにしました。
その後も歩き出したのが2歳ごろで、周りのお子さんよりも遅かったですね。でも、子どもによって成長スピードはそれぞれだと思っていたので、私も夫も両親も深刻にとらえることなく、むしろあまり気にしていませんでした。たとえ、もし発達に遅れがあったとしても、もはやその事実は変えることはできないのですから、変えることのできない部分は、それを受け入れて生きていくしかないと。夫婦で子どもに「普通」を求めていたわけではなかったので、ピリピリせずにおおらかに子育てをしていたと思います。
そうしているうちに小学校入学の時期を迎え、入学前の就学時健康診断で発達検査を受けることになりました。 ── 検査の結果を踏まえて、小学校では特別支援クラスを選択したそうですね。 小島さん:そうです。検査結果は平均より1点下で、発達障害かどうかはグレーゾーンでした。そのため、担当医師には「強制ではないが、特別支援クラスへ進学するのがいいのではないか」とアドバイスを受けました。最終的に決めるのは親なので、どうしようかと悩みました。クラス選びでいちばん大切にしたのは「娘がどのような環境であれば過ごしやすいか」ということ。義母は「将来を考えると普通のクラスでもいいのでは」と言ってくれたのですが、「動き回ることの多い娘には生徒8人以下に対して1名の教師がついてくれる特別支援クラスのほうがいいのでは」と。勉強がわからないときも、そのほうが自分のペースで学べるのはないかと考え、特別支援クラスを選択しました。夫も私の意見に賛成してくれました。