テクノロジーが街の立地を変える? トヨタが打ち出す「コネクティッドシティ」とは
[映像]5月8日の決算説明会の後に行われた豊田章男社長による事業説明スピーチ
「コネクティッドシティ」「バーチャルとリアル」そして「仲間づくり」――。トヨタ自動車の豊田章男社長は5月8日の決算説明会の場で、就任10年を振り返りながら、自身が掲げる「モビリティカンパニー」への移行へ向け、新しいキーワードを口にしました。抽象度の高いこれらの言葉は何を意図するのか。モータージャーナリストの池田直渡氏が3回連載で読み解きます。第2回は「コネクティッドシティ」です。 【写真】「GAFA vs トヨタ」? バーチャルとリアルの戦いの実相
「新しい街づくり」へパナと合弁会社を設立
トヨタとパナソニックは新たに合弁会社を設立して、コネクティッドシティ計画を打ち出した。1本目の記事では、コネクティッドシティ構想に至る道筋と、それで人々の日々の暮らしがどう変わるのか、さらにビジネスの枠組みの大変革の説明をした。 新たなコネクティッドシティは、おそらく従来の街をアップデートするのではない。テクノロジーが繁栄する土地のロケーション(位置や場所)を変えて行くと思われる。今回は、街の立地について、考えてみたい。
水運、鉄道、クルマ……交通が街を変えてきた
明治の時代になって鉄道が敷設されるまで、街は水運の要衝に築かれた。海や川は現在の高速道路に相当する物流の大動脈であったからだ。陸路の大量輸送手段を持たない江戸期には貨物は海路、人は陸路と明確に分離されていたので、貨物は水運、人の移動ルートとしては五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)がメインであった。 積み荷の代表は、鰊糟(ニシンカス)、米、塩、昆布、干し鮑、フカヒレ、酒などである。特に蝦夷(えぞ=現在の北海道)で取れたニシンを加工して作る鰊糟は稲や綿花の肥料として非常に優れていたため広く用いられ、全国的に農業生産量を増大させた。当然、需要は旺盛で利益も大きい。 あるいは、現在でも高級品として扱われる日高昆布が日本海から瀬戸内海を通って大阪へ運ばれたことによって昆布だしの関西食文化が生まれた。また当時の幕府税収でもある年貢米もまた各地から、大阪・堂島の米市場へ集積された。