「プロ野球じゃないとダメですか?」社会人野球のレジェンド トヨタ自動車 佐竹功年(41)第二の人生【5年目Dの取材記(1)】
向かったのはサプライズ・スタジアム。テキサス・レンジャーズなどがキャンプで使用する球場だ。そこにいたのはトヨタ自動車の野球部で19年間プレーし、ことし夏に引退した佐竹功年さん41歳。 社会人野球の最高峰とされる都市対抗野球大会でトヨタを初の優勝に導くなど、輝かしい実績を持つ“社会人野球のレジェンド”だ。現役引退後、コーチングなどを学ぶため、ことし9月からレンジャーズの元を訪れていた。 そんな佐竹さんはとにかく優しかった。私が小さなカメラを片手に、一人でアメリカに来たことに驚きを隠せない様子で、アメリカ滞在期間中は昼食の手配から取材先の送迎までしてくれた。取材する側がここまでお世話になるのは申し訳ない。その気持ちを本人に打ち明けると「甘えてください」と言ってくれた。 私と佐竹さんの歳の差は14。親子とまではいかないが、これだけ歳が離れた取材対象者は初めて。アリゾナの乾いた空の下で、父親に似た親しみを覚えた。 ちなみに送迎中の車内で、アメリカで不安になった事はありましたか?と尋ねると、「入国審査の時にホテル名をうまく伝える事が出来ず“Get back”と言われて最後尾から並び直したよ」とのこと。社会人野球のレジェンドもひとりの日本人なんだ。取材をしてきて初めて親近感がわいた瞬間だった。 ■「なぜか飛び交う日本語、短いアップ」 取材を始めたとき、アメリカの選手たちが私の顔を見かけると「元気ですか?」「お腹すいた」と日本語で話しかけてきた。私も英語で「Very hungry?」と返しておいた。 これは、去年までこのチームでコーチをしていた現ソフトバンクの倉野信次コーチの影響らしい。 倉野コーチの人望は厚く、佐竹さんも「日本人を受け入れる土壌ができあがっていた」と話す。 練習が始まると日本では見ない光景を目の当たりにする。まずアップが短い。全員で足並みをそろえて走ったりすることもない。 自身もしっかりとアップをする選手だった佐竹さんでさえ「日本人はアップが長すぎるんじゃないか」と話した。