次の大河ドラマの主人公・蔦屋重三郎はこうして成り上がった…今も通用する「薄利だが確実な」儲け方
■蔦重版「吉原細見」が画期的だった3つのポイント ① 最新の情報にアップデート それまでの「吉原細見」は、情報が古かったり間違っていたりすることが多く、信頼性に欠けていました。そこで、蔦重は店を回って最新の情報に書き換えました。店や遊女の格付けや詳細な料金などの情報も充実させたのです。吉原の事情通である蔦重にはうってつけでした。 ② 有名人の序文で箔づけ 蔦重が細見改めとして最初に関わった「吉原細見」のタイトルは『細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)』。その序文を人形浄瑠璃の人気作家・福内鬼外(ふくちきがい)に依頼しました。福内鬼外は、エレキテルの発明などで有名なマルチクリエイター平賀源内(ひらがげんない)(「べらぼう」で演じるのは安田顕)のペンネームです。この序文は大きな話題を呼んだといいます。 耕書堂の独占状態になって最初の「吉原細見」である『五葉の松』は、序文を朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)(同・尾美としのり)、跋文(ばつぶん)(あとがき)を四方赤良(よものあから)(大田南畝(おおたなんぽ))、祝言狂歌を朱楽菅江(あけらかんこう)(天明狂歌四天王のひとり)という有名作家3人の揃い踏みでした。 その後も、有名人やベストセラー作家の序文で箔をつけ、「吉原細見」のブランドを高めることに成功しました。 ③ 判型レイアウトの変更で「薄い、安い、見やすい」へ 安永4(1775)年、蔦重が版元となって最初に刊行された細見『籬(まがき)の花』は、今までの鱗形屋版細見から見た目が大きく変わりました。 「横長」から「縦長」になり、大きさも約2倍に判型を変更しました。これは現在の単行本の判型四六判とほぼ同じになります。通りを真ん中に配置し、その両側に店を書き込む等、遊廓の位置関係をよりわかりやすくしました。 判型とレイアウトの変更で、ページ数を減らしたことにより、大幅なコスト削減に成功します。その分、安価で販売することができました。「薄い、安い、見やすい」と喜ばれたのです。 このように、かゆいところに手が届く蔦重版の「吉原細見」は大ヒットします。春秋と2度の改訂版が出て、そのたびに一定の売り上げが見込めます。また吉原の各店からの広告収入もあります。