「甘えとの違いは?」今さら聞けない「合理的配慮」 2024年4月に私立学校や企業においても義務化
そもそも「インクルーシブ教育」とは何か?
学校や企業におけるインクルージョンの実現に向けて活動している、一般社団法人UNIVA理事の野口晃菜氏。学校で合理的配慮の話をすると、「40人学級で個別の合理的配慮をやるのは無理」「合理的配慮と『甘え』の違いは何か」「合理的配慮をしてほかの子どもが『ずるい』と言ったらどうするのか」などの質問を教職員から多く寄せられるという。そこで今回、こうした質問への回答とともに、インクルーシブ教育と合理的配慮の概念整理と、学校現場における合理的配慮の進め方について野口氏に解説してもらった。 【画像】基礎的環境整備により、個別の支援が不要になる子どももたくさんいるという インクルーシブ教育について、私はユネスコ2005年に発行した「インクルージョンのガイドライン(Guidelines for inclusion: ensuring access to education for all)」を参考に以下の定義をしています。 「多様な子どもがいることを前提として、その多様な子どもが地域の学校で学ぶ権利を保障するための教育システムを改革するプロセス」 ポイントは、子どもはそもそも多様であることを前提とすること。そして、当たり前に地域の学校で学ぶことを保障すること。そのために既存の教育システムの枠組みそのもの(教育内容、指導方法、組織体制など)を改革していく必要があるということです。 今の学校は、多様な子どもが当たり前に通い学ぶことが前提になっていません。例えば、障害のない子ども、性的アイデンティティーが男か女どちらかに当てはまる子、保護者がいる子、などのマジョリティーを中心に学校はつくられているため、地域の学校に通うことができない子や、地域の学校に通っていてもほかの子と同じように学ぶ経験をすることが難しい子もたくさんいます。 今の学校教育のあり方を何も変えずに「同じ場にいる」のみではインクルーシブ教育ではありません。「同じ場で学ぶ」ことと同時に、共に学び過ごすために、学校教育のあり方そのものを多様な子どもがいることを前提としたシステムに変革していくことが、インクルーシブ教育には必須です。 そのために必要なのが「合理的配慮」です。合理的配慮は障害者権利条約において、「障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、 均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」と定義されています。 例えば、今の授業は印刷された文字を読める子どもが受けることが前提になっています。音声で学ぶ、読みに障害のある子どもがいることは前提となっていません。そのため、教科書を読んで教育内容を学ぶことが難しい子は、教育内容にアクセスできません。その格差を、音声認識のアプリを使うなどして埋めるのが合理的配慮です。