「甘えとの違いは?」今さら聞けない「合理的配慮」 2024年4月に私立学校や企業においても義務化
本人が学ぶうえでの「バリア」を明らかにする
次のような質問もよくいただきます。 「2:合理的配慮と『甘え』の違いは何か? 合理的配慮をしたら甘えにならないか?」 前述のとおり、今の学校はマジョリティーの子どもを前提としているため、ある子どもたちにとっては社会的障壁が生じています。合理的配慮は、そのバリアを解消するために必要です。そのため、まず明らかにしたいのは、本人が学ぶうえでのバリアです。 例えば、車椅子ユーザーの子が「スロープやエレベーターを設置してほしい」と言うのは甘えではありません。歩く人を中心として学校が設計されていて、車椅子ユーザーの子どもが来ることが前提となっていないことが問題です。 同じように、「ちゃんと座って」「みんなと仲良くして」といった抽象的なコミュニケーションではなく、具体的なコミュニケーションのほうが理解しやすい子どもが、先生に「具体的に伝えてください」と言うのは、甘えでしょうか。学校が具体的なコミュニケーションをする子どもがいることを前提としていないことが、バリアになっているのです。 同じ障害種でも、何がバリアになっているかはそれぞれ異なります。合理的配慮では、学ぶうえで何がバリアになっているかを明らかにし、そのバリアを解消するためにどんなことが必要か、何が現実的にできるか、本人を含めて話し合うことがとても大切です。また、合理的配慮はやって終わりではなく、実際にその合理的配慮がバリアを解消できているかを確認し、見直しもしましょう。 合理的配慮は「宿題をやりたくありません」と意思表明したら宿題をやらなくてすむ、というようなものではありません。また、勝手に先生が「あなたには難しいから宿題はやらなくていいよ」というものでもありません。 宿題が問題となっているならば、宿題の目的は何か、宿題はマジョリティーの子(読み書きができる、親が宿題を見てくれる、一人で集中して取り組める子など)を中心にしていないかという点を見直す。そのうえで、本人の特徴を踏まえた時に生じている障壁を明らかにし、宿題の目的を達成するためにどんな工夫がよいか、本人も含めて(年齢や子どもの特徴によっては保護者と)考え、対話を通じて合意形成をするというものです。 もし本人・保護者が学校に求める合理的配慮が学校にとって難しい場合、学校はその理由を説明し、共にバリアを解消するための代替案を考える必要があります。 合理的配慮は障害のある人にとっての権利です。学校のみでなく、受験時、就職時などありとあらゆる場面で合理的配慮の意思表明をする権利があります。本人自身が合理的配慮についてその権利が自分にはあること、自分が必要な合理的配慮の意思表明の方法を知る機会をつくることもとても大切です。