藤原ヒロシは「リバイバルブーム」をどう見ている? 長年続くラジオへの思いも聞いた
ファッションも音楽も「中間のもの」が増えた
──先ほど、中和というワードが出てきましたが藤原さん的に今の中和状態についてどう考えていますか? 良くも悪くもだと思います。音楽だけじゃなくて世の中全てがそんな感じだと思う。ある意味で全然ダメだったもののクオリティが上がったとも言えると思います。“まあまあ良いもの”が増えて底上げされた。でも、尖ったものもなくなってしまって中間のものが増えた。それが良いのか悪いのか、僕にはわからないけど、個人的にはもう少しムラのある方が好きかもしれない。 ──たしかに尖ったものは少なくなりましたね。 洋服もそうだけど、好き嫌いは別として、ユニクロとかのおかげで全体的なクオリティはすごく上がりましたよね。だって、変な格好の人を街で見なくなった。昔はめちゃくちゃダサい人もいましたよね(笑)。ダサいおじさんとか最近は見ないじゃないですか? ──見ませんね。もっと奇抜な人も多かったですし。 白いシャツをジャージにインしてるおじさんとか、昔はいたような印象もあったけど、それだけクオリティが上がっているということですね。 ──確実にボトムアップされている。 きっと音楽もそうなんでしょう。耳に馴染む音楽が増えた。あとは、コンプライアンスが厳しくなって、喋りに関しては過激なことを言えなくなったわけで。それでは、尖った部分は出てこないですよね。だから、つまらないと言えばつまらないし、良くなったと言えば良くなったという感じですかね。
YOSHIKIとの制作を振り返る
──藤原さんの最近の活動のお話だと、YOSHIKIさんとのコラボレーション『BLUEBYRDS』が始動されました。YOSHIKIさんとの制作はいかがですか? 実は、YOSHIKIくんとは30年くらい前から一緒にやっているんですよ。30年前にもリミックスをやったりしていたんですけど、それ以来会ってはなくて。たまたまパリで再会して「もう一度やりましょう」と2年前くらいから動き始めているんですけど、とても楽ですよ。裏方の人たちは大変かもしれないけど、やっている僕は非常にやりやすい。制作もめちゃくちゃスムーズですし、「こういうものを弾いて」とお願いすると「はい!」とYOSHIKIくんは弾いてくれる。 ──サウンドがアンビエント調になったのはお二人のモードだったからですか? 「やりましょう」となってから、僕がやれるのはこんな感じかな?というところだったので、まず僕がトラックを作ってスタジオに持って行って、YOSHIKIくんはそのトラックを聴きながら「弾いてみます」と弾いてくれたものを持ち帰って、編集して制作をしました。YOSHIKIくんは本当に文句を言わないんです。逆にこちらが「弾きすぎ」と言ってしまうくらい(笑)。すごくスムーズで僕にとってはめちゃくちゃやりやすいパートナーではあります。 今回はとりあえずやってみようということで二人だけでやっていた感じですけど、できるのであれば今後これに色をつけていきたいし、新しい楽曲も含めて発展できたら良いなと考えています。 ──発展というと、今後はボーカルを招いたり? そうですね。誰かボーカルを入れたりするのも良いなと思います。 ──ちなみに藤原さんはアイデアが常に生まれるタイプですか? 何かきっかけがあれば。例えば今回のように誰かとやりましょうということだったら、「この人とだったらこういうことができるな」とか、そういうことはすぐに出てくるかもしれない。ラジオでも最初にひと言、二言話して、キッカケがあって「じゃあ、この話をしよう」と思いつくタイプ。だから、きっと聴き返すと、何もないことを話している回もあったりするんじゃないかな? 先週食べたカレーの話みたいな、くだらない話題もあるんじゃないかなと思います(笑)。 (取材・文=笹谷 淳介) ■藤原ヒロシ プロフィール 80年代よりクラブDJを始め、85年TINNIE PUNXを高木完とともに結成し、日本のヒップホップ黎明期にダイナミックに活動。90年代からは音楽プロデュース、作曲家、アレンジャーとして活動の幅を広げる。’11年より真心ブラザースの倉持陽一とともにAOEQを結成し、その後猪野秀史、OKAMOTO’S、ユナ&ユウキ(ex:CHAI)、渡辺シュンスケ(シュローダーヘッズ)、三浦淳悟(ペトロールズ)、番長(ワンダフルボーイズ)などのミュージシャンと新たなバンドスタイルでの演奏活動を継続的に行っている。2024年10月、新たにYOSHIKIとBLUEBYRDSとしても活動を開始した。またワールドワイドなストリートカルチャーの牽引者としての顔も持ち、ファッションの分野でも若者に絶大な影響力を持つ。