破裂音、噴煙、飛び交う岩石…10年前の御嶽山噴火、その時何が 死者58人、行方不明者5人の災害で変わった人生
今年7月には初仕事として御嶽山の登山口で安全を呼びかけるチラシを配った。ヘルメットの着用率は高かったが噴火の事実さえ知らない人もいたといい、災害が風化しつつあると危機感を強める。自身の経験を通じ「この災害を忘れないでほしい」と訴え続けるつもりだ。 同じく噴火に遭遇した小野田さんは2016年から毎年9月27日、現地に足を運び慰霊するとともに、登山者に経験を伝えている。 2017年ごろのこと。山頂の社務所に運び込まれ、後に死亡が確認された東京都大田区の女性=当時(29)=の知人男性と山荘で偶然一緒になった。男性は「彼女と将来について話していた」関係という。女性の体が温かかったことを伝えると、つらそうな表情を浮かべた。 しかし近年、山小屋などで自分の経験を語っても、噴火があったことを知らない人も増えた。里見さんと同様、意識の低下には懸念が募る。 ▽地元と交流続ける遺族も 次男とその婚約者を失った愛知県一宮市の会社員所清和さん(63)は、災害の風化を防ぐため、山麓に住む子どもたちに講話したり、一緒に登山したりするなどの交流を続けている。
亡くなった次男は26歳だった祐樹さん、婚約者は24歳の丹羽由紀さん。職場の同僚だった。大きなショックだったが、所さんは「泣いてもわめいても、2人は帰ってこない」と考えた。災害について次の世代へ伝えたいとの思いもあり、噴火翌年の2015年、山麓にある王滝小中学校と連絡を取った。児童の前で語る機会を設けてもらった所さんは、祐樹さんのリュックサックに入っていた灰まみれの財布を手に命の大切さなどを訴えた。2019年ごろからは近くの三岳小とも交流を始めた。例年夏季に児童と一緒に御嶽山へ登り、防災について学ぶ機会にしている。 所さんは「噴火は嫌いだけれど、御嶽山は好き。数ある山の中で息子が選んだ山だから」と話す。今まで20回は山へ入った。今年7月の慰霊登山では、ヘルメットを着用していない登山者を見て、既に風化したのかとやるせない気持ちになった。それでも活動を続けるのは「これが私にできる2人への供養だから」だ。
(取材=新井友尚、川村敦、富田真子、奈良幸成、橋本圭太)