破裂音、噴煙、飛び交う岩石…10年前の御嶽山噴火、その時何が 死者58人、行方不明者5人の災害で変わった人生
救助活動は翌日から始まり、中断する10月中旬まで続いた。後方支援に従事する日もあったが、おおむね午前6時ごろに登山道を登り始め、午後5時ごろ下山する日々。山小屋の天井や壁には、噴石による無数の穴が開いている。噴煙が出続け、ジャンボジェット機のエンジンのような音も鳴りやまない。火山灰に雨が交じり、青色の雨がっぱが生コンクリートを塗ったような灰色になることもあった。 ▽被災者家族の連携 噴火は、多くの人の人生を変えた。 東京都のシャーロック英子さん(65)は妹の夫が犠牲になった。噴火翌年に被災者家族会「山びこの会」の立ち上げを呼びかけ、ずっと事務局代表を務めている。 妹は長野県東御市に住む伊藤ひろ美さん。夫の保男さん=当時(54)=は噴火の4日後、遺体で見つかった。シャーロックさんも帰省のたびにバーベキューをするなど頻繁に会っており大きな衝撃だった。 火山噴火の人的被害では戦後最悪の大災害。ただ、何もしないでいるといずれ風化するのでは―。シャーロックさんはそんな思いで家族同士の連帯を訴えた。現在、被災者の51家族が所属する。
2016年には会として初めて慰霊登山を行った。噴火時の灰がいまだ残る地獄のような光景が印象に残っている。頂上を見上げ、みんなで泣いた。ただ、現地でシャボン玉を飛ばすと不思議と犠牲者をそばに感じることができる。慰霊登山はその後も続け、今年も7月28日に行った。 活動の参考にしようと、1985年の日航ジャンボ機墜落事故の遺族らでつくる「8・12連絡会」の事務局長美谷島邦子さん(77)を訪ねたこともある。シャーロックさんがつくる山びこの会の会報は今年9月で40号に達した。 ▽風化防ぐため、経験伝える生存者 冒頭で紹介した里見さんは今春、防災知識などを伝える長野県の「御嶽山火山マイスター」に認定された。山麓へ通い、顔を合わせた遺族らと交流する中で、防災に関わりたいとの思いが深まったためだ。「生還した自分だからこそできることをしたい」と安全登山の啓発に取り組んでいる。 マイスターは火山から身を守る知識を登山者らに伝えるため長野県が認定しており、里見さんを含め現在28人。3回目となった昨年度の審査で合格し、同僚の墓前にも報告した。