台湾近代化と歩んだ老舗書店が閉店、創業家と台湾の深い縁は「プレステ」の成功につながった
米ニューヨークでアートを学んだ梅田さんは「小さい頃にたくさん良い本に触れてほしい」と、絵本や児童書の品ぞろえを充実させながら地元密着の店舗運営を続けてきた。だがデジタル化の波には抗えず、近年は赤字が続き「このまま経営している方が先祖に申し訳ない」と、閉店を決意した。 ▽プレステと台湾 営業最終日となった昨年12月30日には親族一堂が集まり、閉店の瞬間を見守った。その中には、ソニーの元役員でプレイステーションの生みの親として知られる久多良木健さん(73)の姿もあった。 久多良木さんの祖父は村崎家から養子に出たが、台北時代の新高堂で支配人をしていたという。久多良木さんの父親は台北帝国大学で林業を学び、卒業後は台湾総督府に勤めた。台湾は良質なヒノキに恵まれ、林業は当時の主要産業の一つだった。 久多良木家は引き揚げ後、東京都江東区の焼け野原に居を構えた。1950年に生まれた久多良木さんは「毎日食べるものにも困るほど苦しく、闇市で買ったものを家族で分け合って食べた」と幼少期の記憶を思い返す。父親は林業の知識を生かして東北の山林に分け入り、住宅再建用の木材を東京の木場に送って生活費を得ていたという。
久多良木さんはエンジニアとして活躍したソニー時代も、台湾と深い縁があった。プレイステーションはリアルな映像を作り上げるため、台湾出身のジェンスン・フアン氏が率いる米半導体大手エヌビディアの画像処理半導体(GPU)を採用し、ゲーム機本体の生産は台湾の電子機器大手ASUS(エイスース)に委託していた。 今や人工知能(AI)時代の寵児となったフアン氏らとは公私にわたって交流があり「彼らは私のルーツが台湾にあると知っていて、家族のように接してくれる。私自身も台湾に行くと故郷のようにほっとする」と話す。 ▽新たな「国語」 村崎家が去った後、台北の旧新高堂は政治情勢の変化とともに別の運命をたどった。台湾は戦勝国である中華民国の一部となり、大陸から渡ってきた国民党関係者が建物を引き継いで「東方出版社」を新設した。主に児童向け書籍を手がけ、日本語に代わり新たな「国語」となった中国語(北京語)や、中華文化を浸透させる役割を担った。児童雑誌「東方少年」など、一定年齢以上の台湾人の多くは東方出版社の本に触れて育ったと言われる。