山田孝之×仲野太賀がこだわる「生に執着する人間の醜さと美しさ」とは?
白石和彌監督の集団抗争時代劇『十一人の賊軍』にW主演している山田孝之さんと仲野太賀さん。同じ事務所の先輩後輩でもある二人が語る時代劇の魅力、子供時代の映画体験から、演じることの醍醐味まで。 PEOPLE NOW
山田孝之さんと仲野太賀さんが、集団抗争時代劇映画『十一人の賊軍』(白石和彌監督作品/公開中)に W主演。 所属事務所の先輩・後輩でもあるお二人が、撮影現場での互いの奮闘について語った前編(こちら)に続き、対談後編では作品のお話に加え、子供時代の映画体験から、お二人が感じる映画の魅力、演じることの醍醐味までをうかがいました。 ── 本作は、『仁義なき戦い』シリーズの脚本家・笠原和夫さんの原案を、白石監督が満を持して映画化した集団抗争時代劇。対談前編で殺陣の難しさのお話がありましたが、時代劇で演じる際の面白さや大変さをどのように感じていますか? 仲野太賀さん(以下、仲野) 僕は中学生ぐらいの時に、孝之さんが出演された『十三人の刺客』(2010) を見てどハマりして。大人になってからも、『仁義なき戦い』シリーズや昔の黒澤映画、岡本喜八監督の作品などを見て、集団抗争時代劇というものの泥臭さや熱量を感じ、いつかやってみたいなと思っていました。 今回、ありがたくも参加できてまず感じたのは、例えば斬ることも斬られることも自分の実感としてなかったことですし、こうした時代劇には、現代劇ではやれることのない気持ちの振れ幅がやっぱりあるなということで。そのアプローチはなかなか激しいものがありました。
山田孝之さん(以下、山田) 僕の場合は、役を演じることにおいては、その役として生きることが最重要で、時代はあまり関係ないんです。身につけるものや言葉が違っても、起きていることは結局、いつの時代も変わらないなと思いますし。 今回の映画も、権力を持つ人たちが、それぞれの判断で藩や国を良くするために動いてはいるけれど、それに伴う軋轢や、使われる人たちの苦しみもあるわけで。さまざまな立場の人間が、そこでもがきながらも前に進むことが、生きることの醜さであると同時に美しさであり、その“生に執着する姿”を見せる作品だなと思っていました。 仲野 確かに今、現実世界を見渡すと、戦争や紛争は各地で起こっているし、決して遠すぎる世界の話でもなくて、“時代は関係ない”というのもホントにそうだと思います。そういうものも感じながら、生きることへの執着を自分の体で表現していくことの過酷さを味わった現場でした。 ── 役を生きる上で、特に心がけていたことはありますか? 山田 僕が演じた政には、家に残してきた耳の不自由な妻がいて、自分が生きて帰らないことには妻を守れない。まずは一番大事な人を裏切ることができないから、生きて家に帰ることしか考えてないんです。 砦を守る任に着いている間も、政は賊たちとの助け合いや、新政府軍と旧幕府軍の勝敗なんてどうでもよくて、隙あらば逃げようと試みます。それが傍から見ると“自分勝手で汚い”とか“裏切り”に映るかもしれないけれど、政にとってはそれだけが正義。なので、「必ず生きて妻のもとに帰る」という一点で演っていました。 そんな政の姿は、現代の僕らから見ると、社会や会社の中でさまざまな苦労があったとしても、家庭すら守れなかったらそれってどうなの? という気づきになるかもしれないし、その信念は美しいものだと僕は思います。