任天堂が「異端の経営者」を抜擢した納得の理由 日本企業と北米企業との「文化のミスマッチ」
任天堂と岩田さんがレジーさんをどう扱ってきたか、その度量の大きさこそが“異人種”であったレジーさんが生かされて任天堂の海外部門が大きくなった背景にある、ということを読み込めた本です。 日本企業と北米企業とでは、文化のミスマッチが大きな壁になりがちです。主に、意思決定の違いですね。日本本社の10人の役員で海外戦略を決定するという時、その10人で誰1人海外在住経験がないという組織がけっこうあるのです。
そういうときに、レジーさんのような海外支社長が現れると、「レジーっていう、空気の読めない奴がいるぞ」となるわけですが、そもそも海外には、空気を読む人間なんていません。日本人として日本だけで暮らしてきた感覚では、理解の外にいるタイプだと思います。 海外から見ると、日本は、意思決定がものすごく面倒な国です。誰が決めているのかがわからないし、話しても伝わっている気がしない。 そのような中でフィットしていくのは、日本語がペラペラで、日本人以上に接待をしてまわるような柔らかい外国人マネジャーばかりです。その点で、日本語を覚えることのないままにここまで任天堂の海外事業を推し進めることができたレジーさんは、かなり異端な存在でしょう。
いきなり決裁者に向かって「話をさせてくれ」なんて言えば、「無礼だ」と見られ、潰されてしまいます。ほとんどの日本企業は、40代でようやく課長になり、50代で初めて取締役になり、「30代の頃は苦しかった」と振り返るような生き方をしていますからね。 しかし、任天堂の場合は、3代目社長の山内溥さん自身が20歳そこそこで3代目社長として就任し、その山内さんが、ハル研究所という外部から40歳そこそこで転職してきた岩田さんを取締役で迎え、2年後には42歳で社長に抜擢した。そんな異端の昇進と抜擢をしてきた会社だったからこそ、岩田さんもまたレジーさんを抜擢できたのでしょう。