「手術は計17回」産後生死をさまよった元病児の女性「目の前で亡くなる子を見てきたから虐待で命を落とすのは許せない」
── 先生にごちそうしてもらうんですね!(笑) 岩朝さん:はい(笑)。生き残った者の責任ではないですが、長期入院していた10年間で、たくさんの子が亡くなっていくのを目の当たりにしました。だから、「1日もムダにしないで生きていこう」とずっと思ってきて。子どものころに長期入院するような病気をした場合、私のようにその後外で動き回れるほど元気になれるのはごく少数なんです。 とはいえ、思春期は体じゅうが手術の跡だらけで、恋愛などいろんなことで思い悩みました。中学生のころには、「海に行こう」と誘われても「ビキニなんて着れないし…」となってしまって。「どうせ私なんか…」って腐っていた時期もありましたね。
── 思い悩むのも当然だと思います。 岩朝さん:いっぽうで、「頑張ったらここまでできるんだ」という成功体験もありました。長期入院中は、毎日とにかく生きるために必死で、勉強なんて気にする余裕もなかったし、親やまわりからも「勉強、大丈夫?」なんて言われたことがなかったんです。私がいつまで生きられるかわからない状態だったから、「生きていてくれるだけでいい」って、それだけ。誕生日を迎えるたびにみんな涙を流して喜んでくれていました。怒られた記憶もほとんどありません。
そんな感じだから、入院中はまったく勉強しなくて、漢字は何ひとつわからないし、算数もわからない。小学4年くらいで退院できて学校に行ったのですが、勉強なんてちんぷんかんぷんでした。でも、頑張って勉強の遅れを取り戻して、小学6年くらいには学年で上位になっていたと思います。 ── 学年で上位だなんて、すごく頑張ったんですね。 岩朝さん:中学2年のときもまた長い入院をして、学校に帰ってきたらまた浦島太郎状態になっちゃったんですけど(笑)。二次方程式とか全然わからなくて、呆然としました。
ただ、その後、3か月くらいでみんなに追いつけたので高校受験はなんとかなったんですけど。学校から帰ってきたら勉強をして、次の日の休み時間には職員室に行って先生にわからないことを質問していました。