瀬戸内の航海を守った三つの塔、国の重文に 広島・因島、大浜埼灯台の周辺施設
青い海と木々の緑に、灯台と三つの塔の白色が映える。広島県尾道市、因島の大浜埼灯台と通航信号塔は明治期に設置され、長らく航海の安全を守ってきた。 現存する木造の通航信号塔は国内で唯一だ。灯台などを含めた信号所施設としてそろった状態で残っていることが評価され、今年5月、国の重要文化財となることが決まった。(共同通信=斉藤祥乃) ▽運用 周辺は瀬戸内海の東西を結ぶ難所、来島海峡の迂回(うかい)路として、軍艦や漁船など多くの船が通航する海域だった。島が集まっていて見通しが悪く、事故が多かったため、1910(明治43)年、灯台から石段を上った先に通航信号塔が設置された。 元は黒かった三つの各塔の両側面に、少し先を航行する船があるなら「○」、近くなら「△」、一定の海域に大勢いるなら「□」といった記号を白塗りの板で掲示。該当がない場合は板の黒い裏面を表示し、東西の進行方向にいる船の位置や混雑具合を示していた。
郵政博物館(東京都墨田区)に運用当時の写真が収蔵されている。 通航信号塔は1954年に役目を終えた。航海技術の向上にともない来島海峡を通る船が増え、この海域の通航量が減少したためだ。 1984年に因島市(現尾道市)が建物を買い取り、現在は大浜埼灯台記念館となっている。黒かった塔は白地に塗り替えられ、運用の停止が示された。 当時と変わらずに残っている木製の壁かけ電話機は、近くにある高根島にかつて存在した信号塔と連絡を取るのに使用されていた。 ▽整備 施設は耐久力が低下して、メンテナンスが欠かせない。2年前には鉄でできた塔の上部がさびて雨漏りし、改修を行った。 老朽化が進む建物や施設までの経路について、尾道市文化振興課の西井亨文化財係長は「観光資源としてさまざまな整備を進めていきたい」と話す。 1894(明治27)年の設置から130年を迎えた灯台は今でも現役だ。 1959年に無人化されるまで、灯台守が明かりをともし続けていた。信号塔からさらに上った先にかつては宿舎があり、灯台守とその家族が暮らしていた。
電化された現在は尾道海上保安部の職員が半年に1回、崖を背に側面のはしごを登り、灯台上部の小部屋で電球の交換を行っている。 尾道海上保安部の牛崎泰成次長は「日本の海運を担っていた貴重な場所。ぜひ現地でご覧ください」と笑顔で語った。