着物の「脱恐竜化」目指す 京都の老舗「小田章」5代目が語る、120年目の事業転換
バブル期の負債で数十億円の借り入れ
――バブル崩壊から実に30年以上がたっています。この長期間にわたる借り入れの返済は、金利だけを考えても非常に厳しいですよね。 借金の返済においては、利益よりも、まず毎月の売り上げが立つことが大事でしたので、とにかくキャッシュフローを回すことが欠かせませんでした。これが、さまざまな事業に進出していた理由でもあります。このバブル期の負債を、ようやく2023年の4月に返し終えました。最後は四条室町にあった自社ビルを数億円で売却したことによって完済した形です。 私は2008年に5代目として跡を継いだのですが、就任当初は数十億円近い借り入れがありました。当社のような規模の呉服屋としては、あり得ない負債額です。返し終えた今だからこそ言えますが、毎月7桁は返済していましたから、とにかく月の資金繰りに頭を悩ませていました。当時の売上構成比は呉服が40%、不動産が25%、他の企画が25%、飲食が10%くらいでしたかね。 ――バブル期の負債を返し終えて、経営的に変わってきたことはありますか。 返し終えるまでは飲食業や不動産業など、メインの着物業以外であっても売り上げの立つものは何でも取り入れてビジネスをしていました。2023年4月に完済した後は、その残務処理をしていましたが、その間「当社が本来目指すべきビジネスは何か」「自分が本当に挑戦したかったことは何か」を、ずっと考えていました。今までは「やりたい」と思った事業でも、資金不足で諦めていたこともありました。それが今ようやくいろいろな断捨離をして、本来の業務に立ち返っているところです。
HYDEとコラボした理由「変わらないために変わり続ける」
――小田章が本来目指すべき道とは何だと考えていますか。 「ジュサブローきもの」が一世を風靡していた当時、小田章は「戦う呉服屋」といわれていました。旧態依然とした着物業界の中で、さまざまなことに挑戦し続けていたのが父でした。昔ながらのいいものを残すために、守っているだけでは守れないものがあることを、私もよく理解していました。変わらないために変わり続ける姿勢を、父から学んできたのです。 そしていま注力しているのが、HYDEさんとコラボしているWaRLOCKです。WaRLOCKでは、着物業界が抱える課題にも挑戦したいと考えています。これは5代目の私が一世一代を賭けた「戦う呉服屋」としての小田家が追いかけるべき着物のゴールだと捉えています。 ――着物業界の課題を、どう捉えていますか。 本気で変わろうとしていないのが問題だと思います。もちろん着物を伝統として、そして日本を代表するオートクチュール(高級仕立服)として守っていこうとする動き自体には賛成です。オートクチュールとしての在り方は、当方でもまだ模索していて、当社にその部署も設置しています。 温故知新は当社の座右の銘です。ただ解決策はその延長線上には存在せず、むしろ、過去の枠を超えたところにあるのではないでしょうか。業界はまだまだ「このまま守りたい」という思いのほうが強く、「このままで何とかなる」と信じているように思います。ただ、私はこのままではうまくいかないと感じています。正しい進化の在り方が問われていると思います。 「着物の着方はこうでないといけない」という固定概念があったり、業界で働く上でさまざまな国家資格が必要だったり、守ること自体がビジネスになってしまっている面もあります。そうなると着物はますますファッションから遠ざかる一方です。 ――意外と知られていませんが、着物を仕立てる「和裁技能士」は厚生労働省の国家資格です。着付けにおいても「着付け技能士」は2010年から同じく厚労省の国家資格になり、より入口が狭くなっていますね。 着物も他の衣服と同様、本来その着方は自由なものでした。もともと、その人の個性を表すファッションに対して「こうでなければならない」なんていう決まりはないのです。こういった流れが、着物をファッションとしてつまらないものにしています。「お国の力をお借りして守ろう」「伝統産業だからなくさないように守ろう」という考え方自体を否定するわけでもありません。ただ、着物の進化を止めたくないと思うのです。 私は、必要のない衣服は滅ぶしかないと考えています。例えば、以前は着崩したファッションの代表格とされていたアディダスの服は、今やグッチなどのハイブランドとコラボしています。昭和の時代には、スニーカーを履いてホテルに食事に行くことはありえないことでした。革靴でないといけなかったわけですね。ところが今ではこうしたフォーマルな場でもスニーカーは市民権を得ています。 こうしたファッション一つをとってみても、20~30年前の常識が通用しなくなることが当たり前に起きています。これは着物の歴史を振り返ってみても同様なのです。ファッション自体が時代と共に移り変わるものなのに、着物文化を不変のものとして守ろうとしていくのは、さながら“恐竜”のようだと思います。 もちろん、工芸品や美術品として高く評価して、後世に残していくことは大切です。ただ、それはおしゃれなもの、ファッションとしての産業にはなっていないのではないでしょうか。金子先生もおっしゃっていましたが「締切のない絵」と同じで、それは趣味であって仕事ではないのです。私は、着物を仕事にしていて、常におしゃれなものであってほしい。だからこそWaRLOCKを通して、着物を現代に進化させたファッションにしていきたいわけです。 借金を完済するまでの間、正直、生きた心地がしませんでした。それでも、ここまで生き残れたのは、周りの方々の支えがあったからです。「今できることを全力でやる」と自分に言い聞かせ、歩みを止めず進み続ける中で、特別な恩人たちが導いてくれました。昨年亡くなった国際文化学園の平野徹理事長のことは兄のように慕っていて、私のことも本当にかわいがっていただきました。89歳でなお現役で活躍し、WaRLOCKの海外進出も母のように応援してくださっている美容研究家の小林照子先生には、尊敬と感謝の念を抱いています。 ――小田毅社長は5代目になるわけですが、老舗企業を後世に残す上で何が大切だと考えていますか。 私には幼い娘しかいないので、むりやりこの会社を継がそうという考えはないですね。もちろん、小田章という企業そのものは存続させたいので「誰に継承するのが最善か」と考えているのが正直なところです。 理想を言えば、業界外の人に継承してもらいたいと考えています。その人が着物を心から愛していて、急成長を求めるのではなく、形を変えながらでも心を伝えてくれるような方であればうれしい。私のような業界内の人間では、あれもこれも投資するのが難しいため、やはり資本力のある業界外の人の力が必要だと感じています。30年以上にわたるバブル期の負債を完済し、そのための決意がようやく固まったところです。 (河嶌太郎、アイティメディア今野大一)
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