「医師で作家」が精神崩壊寸前で気づいた“幸せ” 「勝ちまくった人はいずれ精神に変調をきたす」
ベストセラー作家としてシリーズ57万部突破。高給とりの医者という職につき、外科医として高い技術を誇る。そう聞くとどんな成功者を想像するだろうか? しかし『泣くな研修医』『俺たちは神じゃない』シリーズが軒並みヒットする中山祐次郎氏は「成功は人を幸せにしない」と断言する。44年の半生を振り返り「幸せ」に生きるヒントを息子に伝えた新刊『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』より一部引用、再編集して紹介する。
■2回の浪人で医学部に滑り込む 僕は試験強者ではなかった。中学受験こそ神奈川県ナンバーワンの聖光学院にギリギリ補欠で合格したけど、たぶん優秀な兄が2学年上にいたことが大きかったと思う。中高時代は、中山は目立つけどなにせ頭が悪いからな、と言われていた。大学受験では2年の浪人で医学部に5回も落ち、第一志望だった千葉大医学部にも落ちた。 大学時代の試験も留年こそしなかったがかなり苦戦をし、よく再試験を受けさせられたものだ。小学校、中学校、高校、そして大学受験までは個人競技だ。自分の暗記力だけがものを言う。僕はこれが苦手でしょうがなかった。人の倍の時間をかけなければ、人と同じだけの暗記ができなかった。
自分の頭脳がその程度だと気づいたのは高校生の頃。聖光学院は進学校で、一緒に勉強していたやつらの何人かは現役で東大に行った。そんな男たちと比べるから、余計に自分の出来の悪さがきつかった。なんで「調べる力」とか「いろんな人と友達になる能力」、「みんなで作る能力」などがテスト項目にないんだろうと不思議に思った。が、そう決まってしまっているのだから仕方がない。 共通試験(僕らのころはセンター試験と呼んだ)で70%程度しか得点できずに浪人してしまい、「90%以上の点を取らなければ医学部には入れない、つまり医者になれない」という現実を突きつけられた。
18歳のその春の日、僕は腹をくくった。 やるしかない。医者を諦めないのであれば、この頼りない頭脳でいくしかない。人の倍の時間が必要なら、倍の時間をかけて勉強するしかない。 僕は、その日から、とにかく長い時間を勉強に費やした。電車ではもちろん、歩きながら、トイレで、風呂で、食事をしながらずっと勉強をした。それでも医学部に入るのに2年も余計にかかった。 ■パニック、泣き出し、吐く人も続出の国家試験 でも、大学に入ってからの勉強は楽しかった。何度、夢に見たかわからない、その字を書くだけで心拍数が上がる医学というものを、学べるのだ。