米史上最悪のラスベガス乱射事件 それでも銃規制は遠い未来の話か
■銃規制に腰の重い議員たち
アメリカにおける銃問題を象徴するような、ショッキングなデータが存在する。タンパベイ・タイムズ紙(フロリダ州)が運営するファクトチェック機関「ポリティファクト」は、1968年から現在までの間にアメリカ国内で銃によって命を落とした人の数が、アメリカのこれまでの戦争における戦死者の総数を上回ったと発表している。独立戦争からイラクやアフガニスタンでの戦争まで、この240年間で推定140万人のアメリカ人が戦場で命を落としている(南北戦争の戦死者数については諸説あり、歴史家の間でも最大で20万人の差が存在するが、ポリティファクトは最も多い戦死者数をデータとして使っている)。一方、銃関連の死者数が全国レベルでデータとしてきちんと記録され始めた1968年からの統計に目を向けてみると、その数はすでに150万人を突破している。 銃によって命を落とした150万人の大半は自殺者で、銃によって殺害された人の割合は全体の3分の1程度になるが、それでも約50年の間に50万人以上が銃で殺されている計算になる。一般的にはアメリカ国内の治安は50年前と現在を比べると、大きく改善されていることが分かる。ホイットマン事件後の1963年にアメリカ国内で発生した殺人事件は約1万4700件で、2011年の殺人発生件数も約1万4600件だった。しかし、現在のアメリカは60年代よりも1億人以上も人口が増加しており、殺人事件の被害者になる確率は50年前よりも低くなっている。しかし、80年代から一度の無差別銃撃で命を落とす人の数が激増。その傾向はより強くなっている。アメリカ史上最も多くの犠牲者を出した無差別銃撃事件ワースト10のうち、ラスベガス事件を含む5件が21世紀に入ってから発生している。
アメリカではクリントン政権時の1994年、殺傷力の高いいわゆる「アサルトウェポン」の民生品を製造することを禁じた法律が施行されたが、10年後の2004年に同法は失効。代替案もこれまで何度も議論されてきたものの、殺傷力が高い銃器の製造や販売を規制する法律は事実上ないに等しい。また、国民が武器を保持する権利を認めた「合衆国憲法修正第2条」の存在によって、アメリカ社会から銃を一掃することは不可能だろう。しかし、殺傷力の高いアサルトライフルなどに加えて、ラスベガス事件でも注目された、市販の銃を連射可能にしてしまう「バンプ・ストック」のような装置の販売規制を求める市民の声は日増しに高まっている。NRAも5日、バンプ・ストックに対する規制を設けるべきという、異例の見解を発表している。対照的なのが議員たちの消極的な姿勢だ。 ラスベガス事件直後、大統領選に出馬した経験もある共和党の重鎮ジョン・マケイン上院議員は、「私と妻は、ラスベガス事件の犠牲者とその家族に祈りを捧げています」とコメントした。上院情報委員会で議長を務めるノースカロライナ州選出のリチャード・バー上院議員(共和党)も「私の心はラスベガス市民と、事件の解決に尽力した方々と共にあります」と語っている。両者とも現在のアメリカ政界で大きな影響力を持つ議員だが、上下両院の中でNRA (全米ライフル協会)から最も多くの献金を受けてきた2人でもある。ニューヨークタイムズの調査によると、マケイン議員がこれまでにNRA から受けた献金の総額は約774万ドル(約8億7000万円)。バー議員も約698万ドル(約7億8000万円)の献金を手にしている。 NRA からの政治献金を受け取った議員はこの2人だけではない。調査報道団体プロパブリカなどの調べによると、全米50州の中で過去20年の間にNRAから政治献金を受け取らなかった国会議員のみがいる州は、わずかに7州のみだ。現在の連邦議会では、100人の上院議員のうち49人が献金を受けていた。また、435人の下院議員のうち、半数以上となる258人にも献金が渡っていた。政治献金の額は議員によってバラバラだが、NRA の影響力が垣間見える数字だ。市民よりも腰が重い議員たちが銃規制で一致団結する日はまだ来そうにない。
--------------------------------- ■仲野博文(なかの・ひろふみ) ジャーナリスト。1975年生まれ。アメリカの大学院でジャーナリズムを学んでいた2001年に同時多発テロを経験し、卒業後そのまま現地で報道の仕事に就く。10年近い海外滞在経験を活かして、欧米を中心とする海外ニュースの取材や解説を行う。ウェブサイト