「レコード大賞歌手」から1曲1000円の「ゴールデン街の流し」へ 彼女が選んだ意外な人生
デビュー1年目に出したCDは、累計100万枚以上の売り上げを記録。知名度も一気に上がったが、当時の年収は1000万円以下。作詞作曲は行っていなかったため、歌手としての印税1%が入るにとどまったのだ。 さらに翌年以降、ほかのミュージシャンを打ち出す事務所の方針もあり、Be-Bさんのスケジュールには白紙が増えるように。本来やりたかったハードロックとの乖離もあって、現状に違和感を覚えるようになった。 「がむしゃらに頑張っていたけど、なんか違うなーみたいな。だって人前で歌う仕事はほとんどなくて、ラジオ番組で喋ったり、雑誌のインタビューで何回も同じこと言ったり。私は芸能人じゃなくて歌手になりたかったけど、そのときにいた環境では難しいんだって気づきました」
また、当時はCD全盛の時代。100万枚や200万枚が売れることも珍しくなかったが、Be-Bさんいわく「誰が歌っても変わらない曲」「売れそうな曲」がシステマチックに次々とリリースされていた。楽曲も歌詞もミュージシャンも、いわば使い捨て。そんな環境で活動をするうちに、ストレスで体調を壊し、事務所からの退所と活動休止を余儀なくされた。1999年のことである。 音楽から離れて平穏な暮らしを送るなか、知り合った男性と結婚。出産もして幸せに暮らしていたが、音楽をしたい気持ちが再燃し始める。夫に相談すると、「趣味だったらいいよ」と言われたが、もう一回本気で取り組みたかったBe-Bさんは譲らなかった。
「じゃあ別れて、みたいな。それでバツイチになるわけです。親権も取られちゃって……あ、大丈夫ですよ、今となっては笑い話ですから」 ■横浜の飲み屋街で初めての流し 約3年間のブランクを経て、Be-Bさんが活動再開の場に選んだのは路上だった。バンドではなく弾き語りで、いわゆるストリートミュージシャンである。 事務所の後ろ盾もなく、一人で道を切り拓くしかなかったため、アマチュアがするような活動にあえて身を投じたのだった。過去の栄光をひけらかすことはせず、とにかく自分の歌を聞いてほしいという思いで、大好きなハードロックをひたすら歌い続けた。まさに初心に戻っての再出発だった。