「暇があれば酒を飲み、ゲームばかりしている人」は「不道徳」だといえるか…哲学者ジョン・スチュアート・ミルの答え
「無関心」をどう捉えるか
前回記事で述べたように、他人の利害に関わらない自分の行為については、個人は最大限の自由を認められるべきであるとミルは言います。しかし、だからといってそういう行為に関して他人がいろいろ口出しすることは良くないことなのでしょうか。英語では、他人のお節介に対して、「それはあなたの関係する事柄ではない(It’s none of your business.)」という、人を突き放すような表現があります。ミルもこういう他人に干渉しない態度が良いと考えていたのでしょうか。皆さんはどう思いますか? (1)ミルは、自分の利害にしか関わらない事柄については、他人が口を挟むのは許されないと考えていた。 (2)ミルは、自分の利害にしか関わらない事柄についても、他人が助言をすることを積極的に奨励していた。 (3)ミルは、自分の幸福追求のためには、他人のことに無関心であるのが一番だと考えていた。 『自由論』の第四章をよく読むと、ミルは(1)のようには考えておらず、以下で見るように、むしろちょっとお節介なぐらいがよいと考えていたことがわかります。ですので(2)が正解です。まずミルは次のように述べています。 「これ〔ミルの立場〕を利己的な無関心を勧めるものだと考えるのは、大変な誤解である。私はけっして、他人の生活や行為に関心をもつべきではないとか、自分にとって損にも得にもならないのであれば、他人の善行や幸福など気にかけるべきではない、と主張するものではない。(……) 私は、その人のきわめて個人的な長所や欠点を、他人が見てあれこれ感ずるべきではない、と言いたいわけではない。そもそも、そういうことは不可能だし、望ましいことでもない。」(光文社古典新訳文庫『自由論』〈J.S.ミル著、斉藤悦則訳:以下すべて〉184~187頁) このように、他人の利益に関わらないような領域についても、周りの人が無関心であることはできないし、望ましくもないとミルは主張します。ここは面白い論点なので、以下で具体例を用いて詳しく説明してみたいと思います。