追悼。元参謀が語るノムラ野球の真実「実はID野球という言葉が嫌いで監督のいらないチームが理想だった」
松井さんにとって野村監督とはどんな存在だったのだろう。 「師匠ですね。でも免許皆伝はまだもらっていません。とても野村野球を語れないけれど、野村さんがああ言った、こう言ったではなく、もう野村さんの考えそのものが、私の血となり肉になっているんです。野村さんは、高校野球の監督をやりたい!が夢でした。野村さんの野球を次の世代へ伝えることをできる限りしていきたい」 2016年のヤクルトのファームディレクターを最後にプロ野球界を離れた松井さんは、現在、子供たちの指導をしている。”野村遺伝子”は、かつての参謀によって、プロ野球の未来を担う子供たちへと受け継がれようとしている。 取材の最後。 「阪神時代のバッテリーミーティングで、一度、『監督、こちらから一方通行で話をするのではなく、一度、選手側に話させますか?』と提案して、実行したことがあってね。阪神では勝てなかったけれど、少しうまくいきだしたとき、野村監督がマスコミに『最近ミーティングのやり方を変えてなあ』と話してくれたことがある。あれが唯一褒めてもらったことかなあ。思い出すなあ」 松井さんは野村さんの面影を追うように遠くを見つめた。 3月中旬に都内で「お別れの会」が予定されている。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)