介護のアルバイトで月収80万円!シャイな20代女性の人生を変えた「オーストラリアでワーホリ」のリアル
毎月40万円、50万円の貯金が可能になり、新たな夢も生まれた
そしてアシスタントナースの資格を取得してからは、派遣会社を通じて介護の仕事をするようになる。多くは高級老人ホームへの派遣だ。 「老人ホームで直接、雇用されているスタッフが少なくて、どの施設も人手不足なんです。それで、どこどこの施設でスタッフが足りなくなった、となれば派遣会社に連絡が行き、私たちに打診が来る、という仕組みでした」 常勤している人たちは、休みが取りやすいと書いたが、それはつまりその代わりがすぐに見つかるシステムがある、ということを意味している。これがまさに、介護スタッフの派遣会社の存在だ。 「ちょうど9月は派遣スタッフの人数が少なかったこともあって、1週間先までシフトが埋まってしまう、なんてこともありました。また、その後は急に連絡が来ることもありました。当日の朝4時に連絡があって、朝6時から来られないか、とか。仕事を断ったら申し訳ない、という気持ちもあって、手当たり次第に引き受けるようになりました」 これは他の仕事もそうだが、オーストラリアでは休日や夜間に働くと、時給が割増しになる。だが、日本で看護師をしていた感覚でいえば、休日や夜間に働くことは、なんてことはなかった。 無理をしていたわけではない。そもそもの時給が日本円で4000円超だった。これに、夜勤や休日勤務は割増しがつく。しかも、仕事は日本の看護師ほどハードでもない。物価の高いシドニーでも毎月40万円、50万円と貯金ができるようになった。 そしてお金ができたことで、もっといろんなことができるのではないか、と思えるようになった。訪問看護ステーションを自分で作ってみたい、と思うようになっていったのも、その一つ。 「こんな夢は日本では持てなかったと思いました」 目指すは、残業がない、休みが取りやすい、といったオーストラリアの働きやすさを取り入れた訪問看護施設だ。
ワーホリを充実させるためには「目的」が何より大事
2023年3月末でワーホリの期間は過ぎたが、まだまだ国には必要な人手が足りないと判断したオーストラリア政府が「パンデミックビザ」を出した。ワーホリで来ていた若者たちも雇用先が決まっていれば、そのビザで最長1年の滞在延長が可能になったのだ。 そのビザを使い、藤田さんは、新しいチャレンジに挑んだ。 「ワーホリに来た目的は英語、もっといえば医療現場で使う英語だったんです。ただ、老人ホームだとどうしても身の回りの介助が中心になります。病名や薬に触れたりする機会や看護師さんとやりとりする機会も少ない。それで、やっぱり病院で働きたいと思うようになったんです」 持っているアシスタントナースの資格では、介護の仕事しかできない。しかし、それでも「病院で働きたい」という思いをあきらめなかった。 「日本で看護師をしていたという経験をアピールしながら、どうにか働かせてもらえないか、と就活をしたんです。50ほどの病院に履歴書を送ったら、会ってもらえる病院があって。まさに看護師の補助として働かせてもらえたんです」 実は総収入は下がった。それでも、目標だった医療現場で英語を使う日々が実現した。今は毎日、必死に医療英語を学びながら日々を過ごしている。 「私はもともとシャイで、人見知りで、外国人なんてとても話せない、というタイプだったんです」 日本にいるときにオンラインで英語を学んだりして、ずいぶん変わったというが、海外に出てさらに変わった。 「誰も知らない人ばかりの中でも、自分次第でどうにでもなれるんだ、とわかったんです。それならもう、本当に動いたもの勝ちだな、と」 ワーホリは自分でお金を貯めてやってきて、時間も終わりが区切られている。1分1秒も惜しい、と思ったという。 「大事なことは、目的です。自分の将来にどんなふうに活かしたいのか、という目的があれば、楽しいし、がんばれる。稼ぎながら、得られるものも大きくなる。目的を定めてきたときに、ワーホリはより充実すると思います」 そして藤田さんは、オーストラリアで見つけた自らの夢を、実現することが決まっている。ワーホリが、まさに人生を変えたのだ。 上阪 徹 ブックライター ※本記事は『安いニッポンからワーホリ!最低自給2000円の国で夢を見つけた若者たち』(東洋経済新報社)の一部を抜粋し、THE GOLD ONLINE編集部が本文を一部改変しております。
上阪 徹