「のに」の貫徹~釜石ラグビーの原点~
どこか北のほうの土地に「ノスタルジア」という名の酒場はないか。薄い出汁のおでんが真夏の夕方でもうまそうな。いくらか年齢を重ねると「懐かしさ」こそが人生の友とわかる。少々の苦さをともないながら、ささやかな幸せを呼び起こす。
わがラグビーのノスタルジア。それは新日本製鐵釜石、略して、新日鉄釜石である。1978年度~84年度に7シーズン連続で日本選手権を制した。
花園ラグビー場の名物のヤジを浴びぬ唯一の名古屋から向こうのチームであった。勝ちまくるのに威張らない。高校卒業の無名の少年が頬を削る氷の風に筋金を入れられて、いつしか無敵の集団の一員となる。辛口ファンも辛辣な文句を発するのをためらわれた。
ぐっと時を経て2024年3月10日。いわば末裔に当たる日本製鉄釜石シーウェイブスが地元、釜石鵜住居復興スタジアムに九州電力キューデンヴォルテクスを迎える。
「東日本大震災復興祈念試合」。祈念の二文字がズシンとくる。リーグワンのディビジョン2の首位がかかるわけではないけれど、その日付が、大切なシーズンのとりわけ大切な試合である事実を示している。
2011年3月11日。テレビ画面ではどこかゆったりと映り、そこにいた者にとってはおそろしく速かっただろう大波の列がここを襲った。
「あれ、くるっと回りますよ」
いつか鵜住居のタクシー乗務員が言った。津波に呑まれ、なんども全身は回転、幸運にも住居の屋根にうまく乗れて、そこで一夜を明かしたそうだ。くるっと。東京のスポーツライターの能力の届かぬ言葉だ。
さて未来につながるノスタルジアはきっとある。震災復興祈念試合を数日後に控えるシーウェイブスの今後はもちろん、さまざまなクラブの進歩にも結ばれる往年のチャンピオンの方法、思想を考えてみた。
全盛の新日鉄釜石は「のに」のチームだった。
押せるのに無理に押さない。どこからでも展開できるのに簡単にボールを散らさない。最高のキッカーがいるのに蹴ってばかりでもない。大学のトップ級を何人も採用できそうなのに東北の高校の原石をこつこつと集める。とことん頂点をめざしているのに近道を進まない。悠々、でも、のろくはない。焦らずに急いだ。