「のに」の貫徹~釜石ラグビーの原点~
大きな絵を描いて(高校卒主体。最後までパスで抜く展開重視)貫く。途中で引っ込めないから本当の反省をできる。吟味の上、次の段階を積み上げる(大型化)。一時の停滞(押せず、走れず)に迷わず、クラブの根(走り、つなぐ)を軽視もせず、成熟へと悠々と急いだ(V7)。
くっきりとした方針を掲げ、少数のリーダー(ふたりのジャパンのキャプテン、森重隆、松尾雄治)を軸にすえて、到達像より逆算、そこにいるひとりひとりを鍛える。「なんの目的でどういう意味の練習をしているか常に考えさせられた」(元日本代表の名フッカー、和田透)。突き詰めるので独自性は生まれる。短絡的にならぬ「のに」の境地である。
指導者や主力選手のプロ化は焦りを招く。5人のエースをあわてて呼ぶよりも、ひとりのリーダー候補に声をかけよう。獲得できたら好不調に一喜一憂はせず、徹底的にその人の個性や能力を信じて、チームの真ん中にすえる。
本物が存在すれば名も無き若者もまた本物へと近づく。1984年だったか。新日鉄釜石と明治大学との練習試合を観戦した。国際的な名手、松尾雄治主将が10番、隣の12番か13番は高校を出た新人であった。
人間の成長の瞬間が続いた。一緒に戦い、ひとつのプレーの直後、ポジショニングやランの角度を当代のマエストロに教わる。誰も知らないラグビー選手がゲーム中にどんどんうまくなった。
伝統芸能や職人仕事の伝承のイメージ。現場をともにする師弟の「伝え、伝わる力」がよくわかった。現在も錆びつかぬ有力なチーム強化法のはずである。
藤島 大