「怒れる若者なんかよりネコのほうが賢い」 養老先生が感情的にならない理由とは?
ネコのほうがヒトより賢い
「自分自身の心の置き場、心地よい場所」で暮らすことが自分自身の精神にも良いはずなのですが、つい別のほうに頭を使って、不満やストレスを抱えている人がいかに多いことか。わざわざ面倒なことに首を突っ込み、腹を立てている。 その点、よほどネコのほうが賢いのではないでしょうか。自分にとって一番気持ちのいい状況に身を置くようにしています。それを見つけたらひたすら寝転んでいる。 正反対が政治家です。常にある意味で「上から目線」で物を考えている。地球温暖化がどうだ、SDGsがどうだ、と常に大きな話ばかりしている。結局、日常から切り離された思考におちいっているのです。 その傾向は政治家に限らず、日本全体に浸透してしまっています。一体、どういう状況が一番いいのか、安定しているのか、国民が幸せなのか。政治家にせよ、一般国民にせよ、このことを真剣に考えていないのではないでしょうか。 それでいて、目の前にある個々のことにはいちいち反応したり、怒ったりする。怪(け)しからんと持論を発信して、喧嘩になる。もちろん、積極的に発信するもしないも、それぞれの人の考えで構わないのですが、私自身はあまりSNSでの発言などを追わないようにしています。 私の言っていることには、「炎上」してもおかしくないものも多いそうです。でも幸い、そういう事態にはあまりなっていません。SNSをあまり見ないから気づかないだけかもしれませんが、個人を攻撃するような物言いをしないのが理由なのかもしれない、と思います。
社会問題について感情的にならない
基本的に、怒って物を言うことはしないようにしているのです。感情的にならないようにしている、と言ってもいいでしょう。 社会問題については感情的になることが間違っている。 これが私の基本の考えです。 社会問題というのは単なる事実です。もちろんその重みは人によって異なるわけですが、議論するにあたって感情を持ち込んでも仕方がない。 社会問題については怒っている人のほうが、問題意識が高く真面目なように思われるのかもしれません。しかし私はまったくそう思いません。 それどころか、感情の熱量を上げることは、解決にはつながらないと思っています。これは年寄りになったからではなくて、若い頃からです。 「怒れる若者」なんてフレーズを聞いても「勝手に怒れ」くらいにしか思えませんでした。怒っている人の話を冷静に聞いていると、がっかりされたり、あるいはこちらにまで怒りが向けられたりすることもあります。そんなことはしょっちゅうでした。 しかし、その人が怒っているのは問題が解決していないからです。そしてシンプルな正解、解決法があればそもそももう解決に至っている。何らかの事情や理由があってそうなっていないから大変なのです。それについて、感情的になっても事態は別にいい方向に進みません。 若い時はどうしてもエネルギーが有り余っているので感情的にもなりやすいし、フラストレーションも抱えやすい。 若くて体力があるから大抵は乗り越えられるのですが、それで日常生活が乱れてしまうと、時には病気になってしまう。大事なのは日常生活の維持を意識しておくことです。食事をする、体を動かす、普通に仕事をする。社会人にとっては仕事も日常の一部でしょう。 もちろん極端に理不尽な目に遭っているとか、犯罪の被害に遭ったとかそういう特殊な場合は怒りをおぼえて当然ですが、多くの人は、こういうあまり大きな怒りを抱えないほうがいいのではないでしょうか。
養老孟司(ようろうたけし) 1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。89年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年の『バカの壁』は460万部を超えるベストセラーとなった。ほか著書に『唯脳論』『ヒトの壁』など多数。 デイリー新潮編集部
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