【本と名言365】ミヒャエル・エンデ|「…すでに世界は変わっている」
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。『モモ』や『はてしない物語』の物語を生み出した作家ミヒャエル・エンデが、社会活動家のヨーゼフ・ボイスとの対話で語ったこと。 【フォトギャラリーを見る】 (芸術は)それが存在するだけで、すでに世界は変わっている 『モモ』や『はてしない物語』の物語を生み出した作家のミヒャエル・エンデ。彼が語る、「時間とは?」「お金とは?」「人間とは?」と、真理を深くまなざし、現代文明社会への警鐘を鳴らす物語は、いつの時代に読んでも色褪せない。 これは、エンデが同じくドイツの社会活動家であり現代美術家のヨーゼフ・ボイスと交わした言葉の中から抜き出したものだ。この対話では、芸術や創造にまつわる話、政治と人との関わり、芸術と自然科学について、語り合っている。 二人の議論は、ルドルフ・シュタイナーの説く「社会有機体三分節」――社会を政治=法領域、経済領域、精神=文化領域の三つの領域に分け、政治には平等原則、経済には友愛の原則、精神には自由の原則に支配されるべきである、という考え方に深く共感しながら、進められる。しかし、対話で交わされる創造、自由、芸術について、二人の視点は微妙にズレており、そこが面白くもある。 経験というものは、なにか他のことに役立つから重要なのではなくて、たんに存在しているというだけで、重要なのです。 という言葉に始まり、「芸術の価値」についても同じことが言えるとエンデ。 なにか他のものに役に立つからすばらしい、というんじゃなくて、ここにあるから、この世にあるから、手もとにあるから、すばらしいのです。なぜかっていうと、それが存在するだけで、すでに世界は変わっているからです。 そして、エンデは現代社会の人の心の荒廃について憂いを込める。詩人がいい詩を書くのは、人の心に木を植える試みであり、木を植える行為はリンゴが収穫できるからという理由だけでなく、ただ美しいからという理由だけで植えることもある、という。 文学にしても芸術作品にしてもそうだが、作品とともに時間を共有した、という経験だけでその人の何かが変わる。その作品が優れたものであれば、心を健康にする何かが起きるのだ、とエンデはいう。 お説教じみた作品を痛烈に批判する態度はボイスもエンデに共感する。物語と芸術作品とフィールドは違う二人で、対話にはすれ違う部分も多いが、社会を世界を常にとらえなおし、変革していかねばならないという強い気持ちは言葉の端々から伝わってくる。折りに触れ、読み返したい対談である。
ミヒャエル・エンデ
1929年、ドイツ南部ガルミッシュで誕生。17歳でシュタイナー学校に転入。その後演劇学校へ通い、卒業後は俳優として活動するほか、詩や戯曲を執筆。60年に『ジム・ボタンの機関車大冒険』、その後『モモ』、『はてしない物語』を発表。現代社会を鋭く見つめて描かれた作品は、児童文学の枠を超え、世代や国境を越えて世界中に愛読されている。
photo_Yuki Sonoyama text_Keiko Kamijo illustration_Yoshifumi ...