原爆が焼きつけた物理学の「栄光」 オッペンハイマーのマンハッタン計画とアトミックパワー
ヒロシマ・ナガサキ
ナチスはパリまで進駐し(1940年6月)、ロンドンに空襲を始め(40年9月)、日本はアメリカに宣戦し(41年12月)、ナチスはソ連を猛攻(42年8月)、こうした風雲急を告げる緊迫した戦況の中で、ロスアラモスにこもった科学者達は人類初の原爆を目指した。そしてついに、45年7月16日、最初のプルトニウム爆弾のテストが行われ、予想通りの成功を収めた。 このとき、原爆製造の動機であったナチスドイツはすでに敗戦していたが、アメリカは日本との沖縄戦で多数の死傷者を出していた。急死したルーズベルト大統領の後を継いだハリー・トルーマンは日本への使用を決意し、8月6日にヒロシマにウラニウム爆弾、9日にはナガサキにプルトニウム爆弾を投下し、戦争は15日に終わった。 原爆投下は良きにせよ悪しきにせよ物理学の強烈なイメージを社会に植え付け、60年代までそれは尾を引いた。戦後約10年して、ヒロシマ、ナガサキの惨状がようやく伝わる中でそれまで支配的だった原爆のプラスイメージは次第に変貌したが、原子の図とE=mc2 をシンボルとしたアトミックパワーが戦後しばらくの間、20世紀科学の輝きとして流布された。その後のオッペンハイマーの失脚から冷戦と物理学の蜜月、そして冷戦終結に伴う新たな問題ついては「「物理帝国」のヘゲモニーを牽引した冷戦の力学 しかし「核のツケ」はいつ誰が払う?」を、物理学の現代史、そして未来への提言については「「知の王者」物理学の栄光と黄昏……「コスパ時代」に科学が生き残る道はどこにある?」を、「物理学の世紀」を代表する巨星アインシュタインの”神話”については「世界が熱狂「アインシュタイン現象」 その裏にあった「西洋の没落」への不安と「原爆」への予感」を、それぞれご覧ください!
佐藤 文隆(京都大学名誉教授)