「自分の中にある、相反する3つのホラーに対する価値観を反映」大人気ホラー『近畿地方のある場所について』背筋さんに、2冊の新作についてインタビュー!
ノベライズ版『呪怨』で明かされる、伽椰子の人間性
――3人の背景が明らかになってくるあたりから、本作では幽霊の怖さだけではなく、人間の業の深さや厭らしさも滲んできます。よく「幽霊よりも人間のほうが怖い」などと言われますが、背筋さんはどう思いますか? 背筋:幽霊だってもともとは人間だったわけで、つまり人怖と幽霊を区別する意味はないのかな、と思います。幽霊の怨念や嫉妬という感情も、生身の人間だって持っているものですしね。それに小説を読んでいて真に怖いなと感じるのって、生きている人の情念が伝わってくるときなんです。 たとえば、私は「呪怨」シリーズが大好きなんですが、作品群のなかでも大石圭さんが手掛けたノベライズ版がイチオシ。この作品では伽椰子がまだ生きていた頃の描写が足されています。彼女は非常に不幸な生い立ちの女性だったんだけれども、心の底から幸福を感じた瞬間があった、と。それは夫との新婚旅行で、泊まったペンションで明け方にひとり目が覚めたとき、窓の外に見えた綺麗な景色を目にした瞬間だった、と書かれているんです。その描写を読んだときに、伽椰子に対する恐ろしさや悲しさが何倍にも膨らんだ気がしました。伽椰子はただのお化けではなくて、人間だったときがあった。それを知るだけで『呪怨』への解像度が高まりますし、そのギャップによって心霊描写がさらに恐ろしく感じられる。だから私は、幽霊と人間を区別するのではなく、地続きの存在として語るほうが好きですし、怖いですね。
――『穢れた聖地巡礼について』に登場する心霊スポットにも、過去に悲しい思いをした人間の姿が描かれていますね。でも、それを知らない主人公たち3人はただただ楽しそうに考察を繰り広げていくのですが……。 背筋:だからこそエグさが際立つかな、と思います。やむにやまれぬ事情を抱えて、人ならざる者になった、あるいはそういう存在の力を借りた人たちと、一方でその噂を楽しそうに考察する人たち。そもそも心霊スポットを「怖い怖い」と楽しむのって、そこで恨みを残して死んでいった人たちを踏みにじるような行為でもあると思うんです。 ただ、そうは思いますが、やっぱりホラーって楽しいんですよね。ミステリー作品だって人の死をコンテンツにしているという意味では、不謹慎ではある。でも、みんな好きですよね。 人間って相反する感情を抱えていて、それに折り合いをつける術がないときは、目を背けて生き続けるしかないのかもしれません。あるいは一人ひとりが自身の倫理観と向き合って、決め事や落とし所を作って付き合っていく。私は、やっぱりホラーが好きです。