じつは「アメリカ軍」はほくそ笑んでいた…ついに日本で実現してしまった「アメリカのヤバすぎる思惑」
じつは安保条約での集団的自衛権を拒否し続けていたアメリカ
たとえば2015年の安保関連法案の国会審議のとき、大きな焦点となった集団的自衛権の問題があります。あのとき国会前のデモでは、若い学生のみなさんが中心となって、 「憲法まもれ」 「安倍はやめろ」 といったコールを連日繰り返していました。私も何度か行って声を張り上げましたが、 「集団的自衛権はいらない」 というコールだけは、一緒に言えませんでした。 なぜなら1951年1月末から始まった日米交渉のなかで、旧安保条約をなんとか国連憲章の集団的自衛権にもとづく条約にしようと、必死で交渉していたのが日本側のほうで、それを一貫して拒否しつづけていたのがアメリカ側だったことを、私はよく知っていたからです。 そしてその両者の関係は、のちの安保改定においても、基本的に変わることはありませんでした。
NATOと「日米同盟」の違い
いったいそれは、どういうことなのか。 事実、肥田進・名城大学名誉教授(日本におけるジョン・フォスター・ダレス研究の第一人者)の分類を見ると、かつてアメリカが集団的自衛権にもとづく安全保障条約を結んだのは、彼らにとって死活的に重要な意味をもつ中南米(米州機構)とヨーロッパ(NATO)の、しかも多国間の条約に限られていて、それ以外の「相互防衛条約」は、基本的にすべて個別的自衛権にもとづいて協力しあう関係でしかありません。 「そんな話、はじめて聞いたぞ」という方もいらっしゃるかもしれませんが、アメリカが各国と結んでいる条約の条文を見れば、それは疑いようのない事実なのです。 たとえばNATOの条文(北大西洋条約)には、ある加盟国が攻撃を受けた場合、それを全加盟国に対する攻撃と認識して、 「個別的または集団的自衛権を行使し、兵力の使用を含んだ必要な行動をただちにとる」 と書かれています(第5条)。これが「集団的自衛権」にもとづく相互防衛条約です。 一方、日本の新安保条約(第5条)などアジア地域の条約には、特定地域(たとえば太平洋地域など)内での加盟国への攻撃が、 「自国の安全を危うくするものであることを認め」 「自国の憲法の規定と手続きにしたがって、共通の危険に対処する」 としか書かれておらず、必ず相手国を守るために戦うとは約束されていません。それがあくまで「個別的自衛権にもとづいて協力しあう関係」でしかないことは、明らかなのです。 安保改定交渉の真っ最中だった1959年6月に、本国の国務省からマッカーサー大使に送られた電報には、この「自国の憲法の規定と手続きにしたがって」という表現について、「〔われわれ国務省が〕長期にわたる慎重な研究の結果、到達したものだ」と書かれています。つまり「相互防衛条約」とはいいながら、相手国への最終的な防衛義務は負わない条文を、意図的に考えだしたということなのでしょう。 さらに連載記事<なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」>では、コウモリや遺跡よりも日本人を軽視する在日米軍の実態について、詳しく解説します。
矢部 宏治