乾貴士を変えた「人生最高の宝物」スペイン・エイバルの3年
創設こそ1940年と長い歴史をもつSDエイバルだが、初めてラ・リーガ1部へ昇格したのは乾が加入するわずか1年前。本拠地エスタディオ・ムニシパル・デ・イプルーアの収容人員が約6200人とこじんまりしている点も、家族を日本に残し、単身赴任でプレーした乾の感性にマッチした。 「スペインのなかでも珍しいと言われるほどファミリー感のある、すごく雰囲気のいいチームなんです。チームメイトたちとよくご飯も食べに行くし、よく絡んでくるし、本当にいいやつらばかり。自分のサッカー人生で一番楽しい時期をすごせたと思う」 もっとも、楽しいだけでピッチに立てるほど、前人未到のUEFAチャンピオンズリーグ3連覇を達成したレアル・マドリード、そして名門FCバルセロナを擁するラ・リーガは甘くない。ほぼすべてのチームが、攻撃だけでなく守備でも高度な個人戦術を求めてくる。 SDエイバルももちろん例外ではなかった。たとえば乾のようなサイドアタッカーには、相手のセンターバックがボールをもち、ビルドアップの体勢に入ったときに、複数のパスコースを一人で消す緻密なポジショニングを求められる。 あるいはタッチライン際にいる相手サイドバックへ意図的にパスを誘導し、味方と連動してボールを奪い取る。乾自身も「1年目はすごく苦しみました」とあらためて振り返りながらも、身につけたときには、30歳を目前にしてさらに成長できると信じて疑わなかった。 「2年目になって、監督から求められることをよく理解できるようになった。コンスタントに試合に出られるようになって、アジリティーの部分で相手ディフェンダーの能力がドイツよりも高いこともわかった。ドリブルでかわしたと思っても、ついてこられるシーンが増えたので」 試行錯誤した末に、相手ディフェンダーのアジリティーを上回る切れ味を搭載。成長したと実感できた2017年6月に、約2年2ヵ月ものブランクを乗り越えてハリルジャパンに復帰した。2016-17シーズンの最終節で、FCバルセロナから圧巻の2ゴールを奪った直後だった。 「しばらく代表に呼ばれなかったけど、代表に選ばれるかどうかは監督次第なので、特に気にしていなかったですね。まずはチームで結果を出す、ということだけを考えていたので」 人事を尽くして天命を待つ、という心境だったと明かした乾は、今年4月に慌ただしく船出した西野ジャパンにも名前を連ねた。しかし、シーズン終盤に右太ももを痛めたこともあり、先月下旬から千葉県内で行われた代表合宿では別メニューでの調整に終始した。