周りを楽しませるために”自分”をも騙して「嘘」をつく…男たちを虜にした伝説の踊り子の知られざる「素顔」
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第125回 『「5000円」を借りて「3000円」だけ返しに来る..元保護司が語る伝説のストリッパー・一条さゆりの意外な「一面」』より続く
何も知らない元保護司
元保護司は一条の暮らしぶりについては、詳しく知らなかった。逆に私が彼女から質問された。 「池田さんはどこに住んでいたんですか」 「最後は釜ケ崎の解放会館でした」 「あら、そうなの。入院していたときに、ひょっこり顔を見せたことがあったけど、釜ケ崎とは彼女、言わんかったな」 少し間があった。そして、さらに尋ねてきた。 「仕事はどうしていたんですか」 「最近は体調が悪く、働けなかったようです」 「どうやって生活していたんかな」 「生活保護を受けていました」 元保護司は少し驚いたような表情を見せた。 「屋台か居酒屋を手伝いながら、なんとか生活していると思うてました。2000円がないと言ってきたので、困っているのかと考えないでもなかったですが」
一条が亡くなって「寂しいです」
この女性は何度も、「寂しいです」と繰り返した。 「てっきり新しいアパートに移ったと思っていたから。釜ケ崎で死んだとは。あれは引っ越しのおカネやなかったんですね。おカネに困っていたんやな。それやのにあの人、5000円を受け取らなかった。あほやな。ほんまのこと言ってくれたらよかったのに」 女性の両目が潤む。 「面白い人でした。口からでまかせを言うから、変わった人やなと思っていたんです。一緒にいると、嘘か本当かわかります。でも、付き合ってみてわかったんです。あの人は他人を楽しませようとしているんです。サービス精神なんやろな。そのうち、自分でも嘘とは思わなくなるんでしょう。いろんなことがありましたが、あの人がいなくなったと思うと、ほんまに寂しいです」 「思い出も多いでしょうね」 「いろんなことを経験しました。やけどのとき、病院に行ったら、あの人、包帯をぐるぐる巻きにされ、私を見ながら、涙をこぼしました。刑務所から出た後、服役中に届いていた手紙を電車の中で読んでいた。それが本当に楽しそうなの。思い出しますよ」 一条が生活保護費約10万円を福祉事務所で受け取るのは毎月1日だった。最後に入院したのが7月3日。その2日前に受給しているはずだ。 彼女は「さあ、2000円を返さねば」と考えていた矢先に体調を崩したのではないか。元保護司の話を聞きながら、私はそう思えてきた。両替してまで3000円を返しにきた一条である。2000円を返したいと思い残していたのかもしれない。