コロナが引き剥がした「死の覆い」――極北から戻った探検家、5カ月ぶりに見た日本【#コロナとどう暮らす】
今、もっとも動けて、かつ、もっとも書ける「探検家兼作家」。それが44歳の角幡唯介である。人跡未踏の地理的空白部・チベットのツアンポー峡谷の探検を描いた『空白の五マイル』、北極圏の太陽が昇らない極夜を犬1匹と約80日間探検した『極夜行』など、その命がけの記録は多くの賞を受賞している。現在はグリーンランドをベースに犬ぞりによる単独行を続けており、この春もグリーンランドからカナダへ渡る予定でいた。ところが出発6日目、カナダに入国できなくなったことを知らされる。極北の荒野でコロナ禍に巻き込まれた角幡にその稀有な体験と、これからの思いを聞いた。(ライター:中村計/撮影:石橋俊治/Yahoo!ニュース 特集編集部) ※取材は6月29日。角幡の帰国後、自主隔離期間明けに行った
約5カ月ぶりの日本「浦島太郎」にはなれず
――まずは、このタイミングで、よくグリーンランド最北の村・シオラパルクから日本に帰ってこられましたね。 旅をしている間は、5日に1回ぐらい衛星電話で奥さんと連絡を取っていたので、なんとなくですが世界の状況はわかっていたんです。そんな大変なことになってるのか、と。なので僕も最初は日本に帰れねえのかってすごい憂鬱になっちゃって。子ども(小学1年生の娘がいる)に会えないのがけっこうつらいんですよ。 ――約5カ月ぶりに日本に帰ってきて、すっかり変わってしまったな、みたいな感覚になりましたか。 向こうにいるときは、帰国したら、何もかも変わってしまって浦島太郎みたいな気分になるのかと思っていたんです。でも、帰国後、しばらく平塚のホテルで自主隔離生活を送っているとき、すでに人がけっこう出歩いたりしていて。無責任ですけど、前と変わらないじゃん、って思ってしまいましたね。 これまでも日本にいるときは、ほとんど自宅で原稿を書いていたので、そもそもの生活が自粛みたいなもの。なので、僕自身の生活もぜんぜん変わりませんね。
探検出発6日目、非情の通知
――今回の探検は、1月中旬に日本を発ってシオラパルク入り。そこから準備に入って、3月19日に犬ぞりで旅立ち、54日間かけてグリーンランド内を1270キロ移動。5月11日にシオラパルクに戻ってきました。シオラパルクを犬ぞりで発つ直前、グリーンランドでも、初感染者が出たんですよね。 そのときは村の人たちもかなりびびってましたけど、旅から戻ってきたときにはゼロになっていたので、完全に他人事になってましたね。握手もするし、ハグもするし。僕が日本に帰ると言ったら「日本に行ったら死ぬから、シオラパルクにいろ」って心配してくれました。 ――今回の犬ぞり行は、当初の予定だと、グリーンランドからカナダのエルズミア島へ凍った海の上を通って渡る予定だったんですよね。 はい。今年のグリーンランド北部はよく冷えて、30キロくらいの幅がある海峡の結氷状態もすごくよかった。近年は温暖化の影響か、あまり凍らなくなってきていて、去年も、一昨年も凍らなかったんです。なので、今年を逃したら、もう行けないかもと気合が入っていたんです。 ――そうしたら6日目、非情の通知が……。 出発直前、カナダは入国禁止になっているという情報は入ってたんです。でも、僕はまったく自分の問題として受け止めていなかった。人間のいないところに行くんだから、関係ないだろうと。なにせ周囲700キロ、軍事施設を除けば、人のいないところですから。そうしたら、出発して最初の電話で、奥さんに、カナダのコーディネーターから連絡があって、入国許可を取り消されたと。 ――荒野における国境は、どのようにわかるものなのですか。 僕もよくわからない。(海峡の)真ん中ぐらいじゃないですか。 ――誰かに見られている可能性はほぼゼロなわけですよね。黙って渡ってしまおうという誘惑にかられなかったのですか。 ちょっと迷いました。ヨットで世界を旅しているときなんかも、海外の港に上陸するとき、そんなに厳密な入国手続きがあるわけでもないんですよ。だから、行っちゃおうかな、と。ただ、いずれにせよ、それも含めていつか書こうと思っていたのですが、奥さんに「絶対、公表できない」と言われて。「日本は今、そういう雰囲気ではない。人として、どうなのかと思われるよ」ということをものすごく強く言われたんです。 ――その頃の日本は、不要不急の外出をしただけで、ものすごくたたかれるような雰囲気になっていましたからね。 そういう空気がまったくわからなかったんです。どうせSARS(重症急性呼吸器症候群)みたいにすぐ収まるんだろうくらいに思っていました。ただ、そこは奥さんの言葉で冷静になりました。密入国ということになったら、さまざまな手続きをお願いしたコーディネーターの方にも迷惑がかかるし、今回が最後のチャンスというわけでもなかったので。 ――とはいえ、このチャンスに行けないのは無念でしたか。 いや、これはこれでよかったですね。今、僕がやろうとしていることは、目的地へたどり着くことが最優先でもないので。狩猟をベースにしていて、旅の時間は、獲物がたくさん捕れたら長くなるし、捕れなかったら短くなる。狩猟って土地とのつながりがないと成立しない行為なんです。どこにアザラシが出るのかとか、どう仕留めればいいのかとか、狩猟者としての知識と技術を蓄えなければならない。要するに、狩猟者視点で土地を再構成しようみたいなことをやっているんです。そういう意味では、グリーンランド内を自分のものにしていくというか、血肉となっていくような感覚があったので、次につながる気がします。今、44歳なのですが、50歳ぐらいまでにそれができればいいかなと思っているんです。