自分のやってきたことは消せない―― ASKAが歩く新しい音楽人生、引退決断から脱退まで
この8月、ASKAは一つの決断をした。CHAGE and ASKAからの脱退だ。こう質問をした。 ――もう一度2人で歌おうとは思いませんか。 「何が起きても不思議ではないんですけど、ひとつ言えるのは、いままで2人で作ってきたものは変わらない、ということでしょう」
道を切り開いたポップス、「パラダイス銀河」誕生まで
「チャゲ&飛鳥」でデビューしてから40年になる。道を切り開いてくれたポップスには特別なこだわりがあるという。 「1979年にデビューした翌年、『万里の河』というヒット曲に恵まれました。当時、その曲調は『演歌フォーク』と呼ばれたんです。何をやるにも演歌フォーク的なものを求められ、苦しみました。ぼくらは、演歌もフォークと呼ばれる曲も聴いて育っていないわけですから、困惑しました」
「演歌フォーク」から離れ、本来、自分の中にあるポップスを前面に打ち出して勝負したい。そのためにレコード会社を移籍した85年秋以降、ASKAは音楽制作のスピードを上げていく。この時期、シンガー・ソングライターとして大きな仕事をしている。ジャニーズ事務所が売り出した男性アイドルグループ「光GENJI」への楽曲提供だ。同じ事務所に所属していた「シブがき隊」に楽曲提供をしたのが目にとまり、故・ジャニー喜多川から「指名」されたのだった。 ある日、ジャニー喜多川から「会えないか」と連絡が入った。 「ジャニーさんにお会いするのはこのときが初めてでした。当時、プライベートスタジオをつくったばかりでぼくはそこでレコーディングをしていたんですね。ジャニーさんは直々に会いに来てくれました。所在地を確かめるため、何度も電話をしてくれたようなんですが、スタジオが工事中だったときの仮の番号におかけになっていたようで、つながらなかった。かなり探された末にスタジオに到着されたんです」 ローラースケートを履き、歌って踊る少年7人組。「光GENJI」という斬新なプロジェクトに対し、ジャニー喜多川は熱を入れていた。こう言ったという。 「当たるかどうかはわからない。ただし、当たれば社会現象になる」