父と娘の町中華 休業経て蒲田で復活 名物「チャーハン」にコメ高騰直撃
先月、1年8カ月の休業を経て復活した人気のチャーハン店。コメの価格が高騰するなか、こだわりの味を求め続ける父を支えていたのは娘の存在でした。 【画像】名物チャーハンの鍋振る父 横には娘 家族の町中華にコメ高騰…
■家族で協力し合いながら営業
住宅街にある町中華「玉川屋酒店」には、営業開始前から店の前には列ができています。 人々のお目当ては、コメの一粒一粒にしっかりと卵をまとったチャーハンと、もちもちの縮れ麺にニンニクのパンチと鷹(たか)の爪の辛みがぴりっときいた、汁なし台湾ラーメンの「皿台湾」です。 客 「中毒性がありますね。やみつきになります」 「何日も待ったかいがありました。幸せ」 一日40食限定のチャーハンと皿台湾。生み出しているのが、店主の原伸広さん(49)です。 そんな原さんを支えているのが、19歳で大学生の娘・里央さんと母の明子さん(75)、そしておいっ子の大地さん(24)。家族で協力し合いながら営業しています。
■皿台湾を生み出した人気店で修業
現在は東京・大田区の蒲田に店を構えている玉川屋酒店。元々は港区浜松町で酒屋さんとして営業していました。そのころは、店の中で酒が飲める「角打ちスタイル」でやっていましたが…。 原さん 「コロナの時期に、私がチャーハンすごく作るのが好きで、ランチをやり始めて。それが偶然、はやったというか」 その後、出会ったのが皿台湾を生み出した名古屋の人気店「人生餃子」の店主・水谷伸二さん。原さんは、その味にほれ込んだといいます。 原さん 「師匠に付いて行けば、私の人生変わるんじゃないかと。人生餃子さんにそれこそ人生変えてもらった」 月に1回ほどのペースで、東京から名古屋に足を運んで修行。皿台湾をマスターし、自分の店でも出す許可を水谷さんからもらうことができました。すると、その皿台湾も大ヒットしました。チャーハンとともに看板商品となったのです。
■コメ高騰直撃も「値上げ考えてない」
しかし、おととし、入っていたビルを立ち退くことに…。次の店舗探しに時間がかかり、1年8カ月が経った先月、ようやく蒲田にオープンすることができました。 ところが、この時期(先月)、世間はコメの価格高騰が話題になっていたころ。一日12キロのコメを使うという玉川屋酒店に影響はなかったのでしょうか? 原さん 「(Q.コメ高騰の影響は?)コメ自体はなくなる前に買っておいた。コメ屋が親切で『ないよ』と言って(くれたので)予約しておいた」 ただ、予約で買えた値上がり前のコメも、この日で終わりに。店にはすでに値上がり後のコメが届いていました。 原さん 「しょうがないですよね。なるようにしかならない。いいもの作って、それで高くつくならしょうがない」 原さんは、食材にはこだわりつつも、値上げは考えていないと話します。 週2回、店を手伝っているという大学生の里央さんにお父さんのことについて聞いてみると…。 里央さん 「お父さんのこだわりが強くて、それがちょっとめんどくさい。ネギの厚さを2分に1回チェックしにいく」 原さん 「(Q.めんどくさいと言われているが)こだわりは大事、気を付けます」