五輪のメダルは誰のため? 堀米雄斗が送り込んだ“新しい風”と、『ともに』が示す新しい価値
オリンピックにおいて「国ごとの世界ランキング作成」が禁止されていることをご存じだろうか? それでも日本のメディアでは大会期間中、毎日のように国別のメダル獲得数が取り沙汰され、オリンピック公式サイトでさえも各国“組織委員会単位”のメダル獲得数を表示していた。オリンピック憲章に反して浸透してしまった価値観に対して、新しい風を吹き込んだのが東京大会から採用されたスケートボードだった。堀米雄斗、四十住さくらの言葉から見えてくるものとは? はたしてオリンピックのメダルは誰のためのものなのだろうか? (文=大塚一樹、写真=ZUMA Press/アフロ)
堀米雄斗がオリンピックに送り込んだ“新しい風”
スケートボード・男子ストリートで堀米雄斗がオリンピック連覇を決めたシーンは、パリの夏を彩った数々の名場面の中でも、一際ドラマチックだった。 ベストトリック4回の試技を終えて暫定7位。ライバルのジャガー・イートン、ナイジャ・ヒューストン(ともにアメリカ)が高得点をたたき出し、メダルを狙った堀米のトリックはここまでいずれも失敗。まさに土壇場の5回目で、自身も試合では一度しか成功したことのない、ノーリーバックサイド270ブラントスライドを決めて見せた。 完璧なランディングの後、小さく吼えて左耳のイヤホンを外しボードを跳ね上げる。いつもは気分が上がる音楽が流れているはずのイヤホンは無音。 「イヤホンはつけてたけど音楽とかもかけないで集中して」いた堀米には、かつて世界の歴史を変えた革命の舞台となったコンコルド広場の大歓声が届いてたはずだ。 彼にしかできない“シグネチャー・トリック”を土壇場で決めての劇的な逆転。圧倒的主人公感に包まれた王者の活躍に、これまでのスポーツやオリンピックにはなかった新しい風を感じた人も多いのではないだろうか。
オリンピック特有の“悲壮感”がないスケートボードの選手たち
前回東京大会から正式競技に採用されたスケートボードは、ストリートカルチャーから生まれた競技として「若者のオリンピック離れ」を危惧するIOC(国際オリンピック委員会)が打ち出した新機軸として注目を集めた。 スマホをポケットに入れ、イヤホンから思い思いの音楽を鳴らしながら滑り出す姿は、明らかにこれまでのオリンピック競技とは違う。 順位やメダルを意識した得点計算など頭の片隅にもないとばかりに、どんな状況でも自分の持てる最大の大技にトライする。そしてなにより、難しいトリック、自分のスタイルを貫いた滑りには、敵味方関係なく選手同士が互いに称賛し合い、拍手を送りハイファイブを交わす。 スケートボード会場には、これまでのオリンピック選手に少なからず感じられた、国を代表して戦うがゆえのオリンピック特有の“悲壮感”がなく、スポーツが本来持つライバルと高め合う清々しさや爽やかさがある。