【全日本】諏訪魔 VM離脱後に続いた悪夢…「雷陣明病院送り」「マイク投げ事件」の真相
全日本プロレスの諏訪魔(48)が振り返る「暴走史」2回目は、反省を込めて自らが起こした騒動に迫った。2008年9月の「雷陣明病院送り事件」、そして10年9月に起こした「客席マイク投げ事件」の真実とは――。 【写真】救急車に運ばれる雷陣に声をかける諏訪魔 【諏訪魔 全日本プロレス暴走史(2)】 ――08年1月に極悪軍団「ブードゥー・マーダーズ(VM)」を離脱後は本隊で活躍した 諏訪魔 VMを抜けた年の4月に「チャンピオン・カーニバル」を優勝して、佐々木健介を破って3冠ヘビー級ベルトを初めて巻いた。でも、1回目にベルトを持ったときはすごい荷が重くて…。歴史がのしかかるみたいな。それでうまくいかなかったんだよね。お客さんからもすげえブーイングで「金返せ!」みたいな感じだったから。 ――当時はあまり評価されていなかった 諏訪魔 そんな時に(08年9月13日後楽園大会で)雷陣明の顔面を蹴って、病院送りにしちゃったんだよ。気絶しゃってさ、4時間くらい、ずっと目を覚まさなかった。強度の脳振とうだった。あれは泣いたね。「雷陣!」って叫びながら一緒に救急車に乗って、病院の手術室の前で待ったから。 ――ショックも大きかった 諏訪魔 地獄だったよ。本当にメンタルがやられた。社長の武藤(敬司)さんに「もうベルトを返上したい」って言ったんだ。でもダメだった。「ウチはお前がチャンピオンで、お前を見たくてチケットを買ってくれている人もいる。プロなんだから最後までまっとうしろ」って言われた。あのとき、もし(雷陣が)死んだら廃業だなと思っていた。ファンからのバッシングもすごかったよ。もともとエグい技をやるから「危ない、危ない」言われていた時だったし。 ――ここからどう立ち直ったのか 諏訪魔 (08年9月28日横浜大会の)グレート・ムタとの3冠戦前の博多大会に、アイツ(雷陣)が来たんだよ。復活した姿を見せに来てくれた。あれで気持ちが変わったよね。ムタとの3冠戦はセコンドにも就いてくれたんだけど、雷神まで血まみれになって負けてベルトを失ったけど…。 ――2回目の3冠王座戴冠が2010年8月29日の両国大会。鈴木みのるから王座を奪取した 諏訪魔 やっとの思いで新世代軍(諏訪魔、河野真幸、浜亮太、真田聖也=現SANADA、征矢学)が鈴木みのるを倒して、最初の後楽園(9月10日)だよ。じゃあ、これからって時に新世代軍が解散になるんだよ。ファンが「これから応援しよう」と準備が整ったところで崩されたんだよ。もちろん俺の本心じゃない。会社の方針だよ。 ――つまり当日はイライラしていたのか 諏訪魔 そう。で、リング上で解散劇を繰り広げていたら、仲間たちが客から「しょっぱい!」とヤジられた。自分が言われるならまだしも、仲間が言われていることにイラっときたし、遠くの方でテレビ制作スタッフがニヤニヤしていたんだよ。それで「ふざけんな!」って罵声が飛んできた方向に剛速球でマイクを投げてしまって…。たまたま空席のところに飛んだからよかったけど。 ――ちなみにその後は 諏訪魔 減給処分だよ。みんなに怒られたよ。
小坂健一郎