「生まれ育った街だから住まいに困る人を減らしたい」。外国籍、高齢者などに寄り添い住まいと福祉を結ぶ居住支援法人・上原不動産
山口県の下関駅前で居住支援に力を入れている上原不動産の橋本千嘉子さん。不動産業を営んできた両親の背中を見て育ち、自身も生まれ育った街に集まってくる、さまざまな住まい探しに困難を抱える人たちの入居をサポートしています。また、入居を促進するためのオーナーへの啓蒙活動や社員の教育、行政や福祉団体との連携促進、街の活性化にも尽力しています。何がそこまで橋本さんを突き動かすのか、お話を聞きました。
歴史的背景を知ると見えてくる、下関駅前エリアの成り立ち
上原不動産がある山口県の下関駅前は海に囲まれた地形の港町。駅周辺は建物の老朽化が目立ち、再建不可のものも多いといいます。橋本さんは、この下関駅前で40年以上続く上原不動産の代表の長女として、両親の背中を見て育ちました。自身も5人の子どもを育てながら家業を担う2代目です。 橋本さんによると、この辺りはもともと1940年代に朝鮮半島から日本に抑留された人たちが帰国を目指して港のあるこの地に集まってきたものの、国に帰ることができず暮らし続け商売を営んでいる人も多い地域だそう。当時はバラックがたくさんあって活気があり、今もそのころを思わせる古い街並みが残っている街。 歴史的背景を知ると、また違った風景が見えてきます。 少子高齢化、地元に留まらず都会に出ていく若者といった、現在の地方都市がどこも抱えている問題に加え、「総合病院や拘置所や更生保護施設など、駅周辺の環境もあって、体の悪い人や生活再建を目指す人、外国人など、住まい探しにおいても配慮や支援を必要としている人たちが、より多い地域といえます。この地で不動産賃貸管理業を続けていくためには、移住者を増やすなど、人を呼び込む必要性を強く感じています」(橋本さん、以下同)
「若いころは好きになれなかった」韓国語が飛び交う街
そんな橋本さんも、若いころはこの街が好きになれなかったといいます。 「私自身、在日韓国人3世で帰化しているのですが、韓国語の飛び交う雑多な雰囲気の街を、素直に受け入れられませんでした。スマートな都会的生活に憧れて、東京のデザイン系の学校に進んだのですが、強烈なホームシックに襲われました。その時初めて、自分がどれだけ地元のことを大好きだったかに気づいたんです」 地元に帰った橋本さんが会社を手伝い始めて間もないある日、入居者が突然亡くなり、警察と一緒に現場検証に立ち会うことがありました。その人は、かつて道端に倒れていたところを世話好きな橋本さんのお母さんがおぶって保護したことのある人でした。「不動産屋って、ここまでやらなくてはいけないんだ」と深く印象付けられた出来事だったといいます。