東邦監督、15年ぶりの聖地へ 野球から「逃げた」過去と決別 センバツ
4年ぶり31回目のセンバツ出場を決めた東邦(愛知)。山田祐輔監督(32)は15年の時を経て、聖地に戻る。かつて主将として甲子園で華麗なアーチを放ったが、その後挫折。一時は野球を完全に諦め、一般企業に就職した。だが、同僚と訪れた甲子園の景色に魂が震えた。「やっぱり野球っていいな」。過去への後悔と最高の舞台への希望を握りしめ、采配を振る。 【センバツ出場の一報に喜ぶ各校を写真で】 父の影響で小学2年から野球を始めた。肩が強く配球の正確性から中学時代に捕手としての才能が開花。高校は父と同じ東邦に進んだ。 初めての甲子園は2008年の夏。鍵谷陽平投手(現巨人)擁する北海(南北海道)との初戦が全国に名をとどろかすきっかけになった。 試合開始のサイレンと同時に鋭い金属音が鳴り響き、舞い上がった打球は右中間スタンドへ。大会史上3人目となる初球先頭打者本塁打だった。「憧れの甲子園で記録を残せたことがうれしかった。アルプスが歓声であふれて、野球っていいなと思った」 卒業後は立教大に進み、大学3年時には正捕手として東京六大学リーグに出場。打率も3割を超える成績を残した。しかし、副将としてさらなる活躍が期待されていた大学4年のとき、体が突然思うように動かせなくなる「イップス」に陥った。「返球がうまくいかないと申し訳ない気持ちに襲われるようになった」。次第に、投げようとしてもボールが手から離れなくなった。 「もう野球とは違う世界で生きよう」。高校時代の恩師、森田泰弘総監督(63)から指導者の誘いも受けたが断り、不動産会社に就職した。 14年夏、東邦が自分たち以来となる甲子園出場を決めた。同僚の誘いもあって甲子園に足を運ぶと、かつて自分も立った輝く舞台があった。ひたむきに白球を追う後輩たちと森田総監督の凜(りん)とした姿勢。そして球場を揺らす大歓声。「逃げたことが悔しくなった。そして、また野球っていいなと思えた」。16年にコーチとして母校に戻り、20年には自らが慕う森田総監督の後を継ぎ、監督に就任した。 もう野球で悔いは残したくない。「やっと見つけた自分の野球を甲子園で見せ、たくさんの人から応援される東邦にしたい」。今度は甲子園初采配初優勝で全国に名をとどろかせる。【森田采花】