最高裁初代長官によるエッセー、のんきな身辺雑記から天皇退位に関する驚きの意見まで―三淵忠彦『世間と人間 復刻版』永江 朗による書評
戦後、新憲法のもとで最高裁判所がつくられた。当初は三権分立について政治家の理解が浅く、国会から圧力もあったし、GHQとの調整も必要だった。初代長官だった著者の苦労は相当なものだったろう。 この本におさめられているエッセーはほとんど長官在任中に書かれたものだという。さぞかし厳(いか)めしい文章だろうと気構えて読みはじめたら違った。ワニを飼った話や身欠きニシンの話、飼い犬の話など、のんきで楽しい身辺雑記が並んでいる。 落語「鹿政談」の根岸肥前守を板倉内膳正重矩に置き換えた話が出てくる(「鹿を犬にした話」)。神の使いである鹿を過って殺してしまった豆腐屋を奈良奉行重矩が裁く。「法令の解釈は無限だと謂われる。法令の適用もまた無限であろう。法を取り扱う者は深甚の注意を払わねばならぬ」と著者はいう。 驚いたのは法学者の佐々木惣一、ジャーナリストの長谷川如是閑との鼎談(ていだん)。天皇の退位について「ぼくらはネ、終戦当時陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかったか、ということを非常に遺憾に思う」と著者は述べる。いまだったら大騒ぎになりそう。 [書き手] 永江 朗 フリーライター。 1958(昭和33)年、北海道生れ。法政大学文学部哲学科卒業。西武百貨店系洋書店勤務の後、『宝島』『別冊宝島』の編集に携わる。1993(平成5)年頃よりライター業に専念。「哲学からアダルトビデオまで」を標榜し、コラム、書評、インタビューなど幅広い分野で活躍中。著書に『そうだ、京都に住もう。』『「本が売れない」というけれど』『茶室がほしい。』『いい家は「細部」で決まる』(共著)などがある。 [書籍情報]『世間と人間 復刻版』 著者:三淵 忠彦 / 出版社:鉄筆 / 発売日:2023年05月3日 / ISBN:4907580258 毎日新聞 2023年7月1日掲載
永江 朗