〈信長、秀吉、家康が首相になったら〉歴代総理の誰に相当?映画「もし徳」から考える「戦国の三英傑」のリーダー像
家康は佐藤栄作、秀吉は田中角栄、信長は該当者なし?
昔から「氏より育ち」といって、家柄や身分より育った環境やしつけが人格形成に強い影響を与えるとされてきたが、三英傑はどうだったのか。大ざっぱにいえば、信長が「氏・育ち」ともによく、といっても織田家の先祖は尾張の守護代の家臣レベルだが、家康の先祖は全国をめぐっていた遊行僧が土地の有力者の娘の婿に入ったのが始まりで、出自はどこやら怪しげであり、秀吉に至っては氏もへったくれもない。 秀吉は、『太閤素性記』によると、父は木下弥右衛門で信長の父信秀の足軽とされているが、平時は農民、戦時に足軽となったらしい。筆者の先祖は農民だが、名字帯刀を許されていたと祖母に聞かされており、弥右衛門もそれか。 〝天下のご意見番〟大久保彦左衛門が書いた『三河物語』には、平時には徳川家の家臣が田や畑を耕しており、その姿を城主が見て心を痛める話が出てくる。戦国時代には、よくあった境遇である。 では、三英傑を戦後の総理に喩えるとしたら誰が該当するか。筆者なりに考えてみた。 信長の特徴「ワンマン」で歴代首相を眺めると、ワンマン宰相といわれた吉田茂の名が浮かぶが、信長のような‟狂気ばしった専制君主型”ではなく、残念ながら該当者なしだ。 一番わかりやすいのは、〝今太閤〟と呼ばれた田中角栄だろう。中卒の学歴ながら新潟の土建会社社長を経て、政治家に転身し総理まで出世した〝究極の成り上がり〟。「まあ、そのぉ」を連発しながら扇子でせわしなく煽ぎ、ハンカチで顔の汗を拭うエネルギッシュな姿は、秀吉とも重なる百姓上がりのイメージがあるが、細かい数字を頭に叩き込んだ〝コンピューター付きブルドーザー〟。 だが角栄は、「日本列島改造論」をぶち上げたところまではよかったが、〝地価狂騰〟という負の遺産を残し、秀吉が佐渡金山などの鉱山を所有し、腐るほどの金銀財宝を大坂城に秘蔵していたのに倣ったのか、目白の自邸や越山会事務所の金庫には札束があふれ返っていた。そのカネは盟友の実業家小佐野賢次から渡った裏金だったり、のちのロッキード事件で判明する巨額の賄賂だったりで、金銭をめぐるダークな一面も秀吉に通じる。 秀吉は死が迫ると五大老五奉行に誓紙を書かせて息子秀頼に政権譲渡したが、死んだらおしまい。家康は誓紙は反古にして政権奪取。似たような話は角栄にもある。病に倒れるまでは「キングメーカー」として政財界に君臨し、娘真紀子に女性総理の夢を託すが、小泉純一郎政権時に外務大臣に就いたまでだった。 江戸幕府を260年余も続いた平和な長期政権と見れば、兄の岸信介が猛反対を押し切って「日米安全保障条約」を結んだのを受けて、沖縄返還を実現させ、非核三原則を提唱して〝昭和偃武〟を実現、ノーベル平和賞をもらった弟の佐藤栄作が家康か。