「こんな殺し方いけない」日本被団協・田中熙巳さん“魂のスピーチ” 「NO MORE 被爆者」パレードで訴えも…「核保有国の世論変わらず」 ノルウェー
ノルウェー・オスロで10日、ノーベル平和賞授賞式が行われ、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の田中熙巳さんが1945年の原爆投下体験を語り、核廃絶を呼びかけた。 現在、世界各国では合計で「1万2121発」の核兵器が存在しているという。 【画像】合計「1万2121発」にのぼる世界各国の「核」保有数
「人間の死とはとても言えないありさま」受賞式で原爆投下体験語る
10日、ノルウェーの首都オスロの街では、ノーベル平和賞授賞式に続き、平和を祈る「トーチパレード」が行われた。 「NO MORE 被爆者!NO MORE 被爆者!」と、核による悲劇を二度と起こさせない、力強い訴えが、ノルウェーの夜空にこだました。 日本時間の10日午後9時から行われた授賞式では、日本被団協を代表して田中熙巳さんがスピーチを行い、核兵器の廃絶を世界に訴えた。 日本被団協・田中熙巳さん: 1945年8月9日、爆撃機一機の爆音が突然聞こえると、まもなく真っ白な光で体が包まれました。 1945年8月、広島と長崎に投下された原子爆弾により約21万人の命が奪われた。当時13歳だった田中さんは、爆心地から約3km離れた長崎市内の自宅で被爆した。 日本被団協・田中熙巳さん: 3km余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃虚が広がっていました。麓に下りていく道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置され、大やけどを負いながら、なお生きている人々が、誰からの救援もなく放置されておりました。 1人の叔母は爆心地から400メートルの自宅の焼け跡に、大学生の孫とともに黒焦げの死体で転がっておりました。その時、目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。 原爆の投下で、田中さんは5人の親族を亡くした。 日本被団協・田中熙巳さん: たとえ戦争といえども、こんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけない。私はその時、強く感じたものであります。生き残った被爆者たちは、被爆を7年間、占領軍に沈黙を強いられました。 原爆投下の夏から11年後の1956年に結成された被団協。 世界に向けて核兵器の廃絶などを訴え続けてきた姿勢が、今回の受賞につながった。 日本被団協・田中熙巳さん: 想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということ。人類が核兵器で自滅することのないよう、そして核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて、共に頑張りましょう。
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