鶴見辰吾「小学生で宝塚に憧れ、おばの勧めで芸能界へ。〈金八〉仲間の絆は今も健在。アイドル扱いに〈やめよう〉と思った日も」
ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』が再演される。初演を観てファンだったという鶴見辰吾さんが、主人公の父親役として出演することが決まった。本作への意気込み、還暦を迎えた気持ち、芸能界を目指した理由などを伺いました。 (構成◎上田恵子) 【写真】4人のビリーと笑顔で。記者会見の1枚 * * * * * * * ◆18歳の時に俳優をやめようと思った 12歳で俳優としてデビューし、今年12月に還暦を迎えます。今日までこうして俳優の仕事を続けてこられたのは、ひとえに僕を応援し、支えてくれた皆さんのおかげです。頑張っていても、たとえ実力があっても、残っていくのが難しい世界ですからね。本当に自分一人の力ではないと感謝しています。 その時々でたくさんの方々にアドバイスや励ましの言葉をいただきましたが、なかでもかわいがってくださったのが、デビュー当時同じ事務所だった故・鈴木ヒロミツさん。もうとにかく褒めて褒めて、「おまえは最高だ」とか「そのジーパンかっこいいね」といった感じで、いろいろなことを褒めてくれるんです。 ヒロミツさんは、ちょうど今の僕くらいの年齢の時にがんで亡くなったのですが、最後まで好きなことをやり通した人でした。ものすごく恩義を感じている人です。 あともう一人は、武田鉄矢さんですね。ドラマ『3年B組金八先生』のおかげで僕の名前は全国区になりましたし、そこで出会った仲間とはいまだに交流があります。 山崎努さんからも大きな影響を受けました。18歳くらいの時でしたか、僕が俳優をやめようかどうしようか悩んでいた時に山崎さんに出会って。山田太一さん脚本の作品だったのですが、「この仕事を命がけでやっている人がいる。自分もこの道をしっかり進んでいこう」と思わされたのです。
◆アイドル映画への出演が辛かった10代 俳優をやめようと思った理由は、10代の自分が抱いていた俳優像と現実とが少々違っていたからです。1980年代はアイドル黄金期でアイドル映画も多く、ティーンエイジャーすなわちアイドルみたいな時代でした。 僕はやっぱり男の子なので、洋画のハードなアクション映画などを観ていて、そういう作品に出たかったんです。(笑) ところが実際は青春ものの優等生のような役が多く、全然違う方向に行ってしまって。もちろん今は「そういう役も大事な財産だ」と理解していますが、当時はすごく悩んでしまいました。 役者で食べていくのも大変そうだし、学校の仲間と同じように就職して勤め人になることを決めるなら今かな、と考えたんです。でも山崎努さんの演技に対する向き合い方を見るうちに「こういう役者になりたい」と思うようになって、現在に至ります。本当に大きな出会いでした。
【関連記事】
- 安蘭けい×咲妃みゆ「9.11」の実話をミュージカルで演じて。「悩みは人に小分けに話す」「聞くことでも浮上できる」
- すでに18歳だった田原俊彦が、なぜ中学校が舞台の『金八先生』にキャスティングされたのか?大ヒットの裏に隠された「リアリズム」と「キャラの棲み分け」
- 宝塚『ベルサイユのばら』初演から50年!初代と2代目オスカル、榛名由梨と安奈淳が語る「母に榛名さんが死に化粧を」「3日違いで救急車で運ばれて…」
- 松村雄基『スクール☆ウォーズ』で不良を演じながら、脳梗塞で倒れた祖母の在宅介護を10年続けて。還暦過ぎてもチャレンジする人生を
- 武田鉄矢×ゴルゴ松本 金八先生を定年した後は生徒に。64歳で始めた合気道が教えてくれた「吐く」極意