「あの日、皆の前で何も見ず英語でスピーチを始めた時は本当に驚いた」とジョーダン・スピース。2年前、マスターズチャンピオンズディナーのホストを務めた松山英樹の裏話
PGAツアーのアジア圏マーケティングディレクター、コーリー・ヨシムラさんがチョイスした記事や選手たちのストーリーをご紹介。今回は、松山英樹の英語スピーチ。
自分でセリフを書き、しっかり覚えた
スマートフォンをスクロールしながら松山英樹は1枚の写真を探していました。その写真は2年前マスターズの優勝者としてチャンピオンズディナーのホストを務めたときのスピーチ原稿。英語で書かれた原稿を暗記し、グリーンジャケットで正装した30人の歴代チャンピオンの前でスピーチする。その場にいた人々を忘れられない瞬間に導いた元となる原稿です。 「松山のことはずっと知っているけれど、しっかり喋ったことはないかな。英語はわかるのだろうか? 喋りかけないほうがいいかな、と思っていた」とジョーダン・スピース。プロデビュー1年目にはスピースが世界ランク22位、松山が23位でした。
「だからあの日、皆の前で何も見ず英語でスピーチを始めた時は本当に驚いた。一生懸命練習したんだろうね。内容も素晴らしく特別な時間だった」 日本にいる時以外は常に通訳が同行する松山にとって、格式の高いディナーのホスト役を務めることはとてつもない勇気が必要だったでしょう。 「最終日のバックナインと同じくらい緊張した。自分で原稿を書いてそれを暗記しました。本当はもっと話したかったけれど、あれが覚えられる量の限界。途中で頭が真っ白になるくらい緊張しました」と松山は言います。時間にしておよそ1分半。「本人とっては30分くらいに感じただろうね」とアダム・スコットは松山の心情を推し量ります。
チャンピオンズディナーは、1952年にベン・ホーガンが歴代優勝者をメンバーとして招待するディナーを企画したのが始まりです。舞台のオーガスタナショナルの創設者、ボビー・ジョーンズとクリフォード・ロバーツも招かれ、同クラブの会長も招待されるようになりました。参加できるのは厳格にメンバーのみ。たとえ著名なプロでもマスターズに優勝しなければメンバーにはなれません。 ディナーには家族、代理人、まして通訳も同席を許されずスマホの撮影は禁止。こぢんまりとしたクラブハウスの2階にあるレストランの閉ざされた空間で、その日起こった出来事や興味深い話は人々の口伝えによって広まるだけなのです。次回もこの話題を続けましょう。 ※週刊ゴルフダイジェスト2024年6月4日号より(ARRANGE/Mika Kawano PHOTO/Taku Miyamoto、Blue Sky Photos) ※PGAツアーはBSJapanext(BS放送)、ゴルフネットワーク(CS放送)、U-NEXT(動画配信サービス)で毎週LIVE中継が見られます
週刊ゴルフダイジェスト