【エッセイ】パリで出会った美しい女性に、私も父も同時に落ちたら…
旅先で出会った女性は、お手本にしたくなるような素敵な人だった。思いがけないことが発覚するその時までは。 この記事は、愛をテーマにした米紙「ニューヨーク・タイムズ」の人気コラム「モダン・ラブ」の全訳です。読者が寄稿した物語を、毎週日曜日に独占翻訳でお届けしています。
女性としてお手本にしたい人
13年前、中庭で催されたあのパーティーがなければ、パリで過ごした父娘の春休みは平凡なものになっていたと思う。初めてオードリーを目にしたとき、彼女のことをセクシーだと思った。そして父もやはり、そう思っていたらしい。銀食器の触れ合う音が鳴り、シャルル・アズナヴールのプレイリストが流れるなか、私たちの未来は静かに塗り替えられようとしていた。 30代半ばのオードリーは気品と芸術的センスの塊で、オペラのプロダクション・デザイナーとして数々の賞を受賞していた。「フランス系ベトナム人美女」の定義のような人だ。彼女の髪は2本の赤い箸でまとめあげられていて、その身はオレンジ色のサテンのドレスに包まれている。これが彼女のいつものパーティー服だった。 一方で20代半ばの私はジェギンスを着ていて、ルーブル美術館で昼飲みすることが文化的に最もハイクラスだと思っていた。それなのにどういうわけか、クラム・オ・ブールと魚が溺れるほどのシャルドネを飲みながら、私たちは意気投合したのだった。 星空の下、彼女のベンソン&ヘッジス(英国の煙草)のパックを分け合った。彼女はいつだって、その場にいる全員──私も含めて──の目を惹くような女性だと思う。 1年後、ニューヨークのクイーンズ大通りにあるスターバックスの前でのことだ。パリで出会った女性と不倫関係にあると父が打ち明けたとき、私はまずこう思った。「ああ、それっぽい人なら知ってるな」 オードリーはフランス人のシックな友人から、恋の相手になったのである。次に私が思ったのは、もっと気づきに近いものだ。父は「恋をしている」と言った。そのとき、自分の知ったかぶりの人生で初めて、それが何を意味するのか、私にはまるでわからないことに気づいたのである。 もろいセルフイメージで編まれたタペストリーのなか、私は自分のことを愛の勝者だと思い込んでいた。偏見の無さが自慢だった。当時の私は、初めての複雑なレズビアンの関係のさなかにいて、彼女と暮らしながら、愛の景色が目の前に広がり、成功と試練が待ち受ける障害物コースが明らかになるのを見ていた。 オードリーに出会ったとき、彼女はお手本になるような人だと思った。 私より少し年上で、才能があり、大胆不敵。無謀なまでにありのまま。揺るぎない自信を持った、ナチュラルな力のある、私の理想とする女性像だ。女性らしさ、セクシュアリティ、そして自立性を探求する旅という迷宮において、彼女は私の北極星だった。既婚の父と寝ていることを知るまでは。 やがて愛の名の下に父は30年の結婚生活を捨て、14歳の弟が家長となり、母は瀕死の祖母と老いたコリー犬の世話に奔走することになる。
Anaïs La Rocca