70年越しに親父を理解 桑原征平アナ「陣中日記」への思い
70年越しに親父を理解 桑原征平アナ「陣中日記」への思い THE PAGE大阪
テレビ番組「おはよう!ナイスデイ」の司会や「めざましテレビ」の挑戦コーナーなどで知られた元関西テレビの桑原征平アナウンサー(71)。定年退職後はABC朝日放送ラジオ「桑原征平 粋も甘いも(粋甘)」で独特の「征平節」を響かせ、放送10年を超える人気番組となっている。その番組で約半年にわたり、自身の父親が日中戦争出征時にしたためた「陣中日記」を朗読した。小さいころから酒乱の父親に度重なる暴力を受け、番組や著書などでたびたび、その仕打ちを告白してきた征平アナ。だが、母親の死で遺品整理をしていた際、この日記を見つけ戦争を伝える決意し、約70年の時を超え父親のことを少し理解できたという。
忘れられない父の暴力、死ぬまで続いた不仲
「ほんまにひどい親父やった」。いつも明るい征平アナだが、父親・栄さん(享年78)の話をする時はあまり良い顔をしない。それもそのはず、その内容はあまりにもひどかった。「小学生のころなんか、ちょっと悪いことしたら、体をロープでぐるぐる巻きにして、電車上の陸橋からぶら下げたりされましたわ」 栄さんは元京都府警の警察官だったが退職。征平アナが物心ついた時には職を転々としており、栄さんは酒乱で暴力を振るう毎日。夕食もまずは父親が食べ終わってから食べることを許され、ちょっとしたことでも、征平アナや上の2人の兄、母親に暴力をふるっていたという。 大人になっても不仲は続き、父親が「テレビ局を見学させてくれ」と頼んできても断るなどしていた。そして30年前、ふとん店を経営していた栄さんは京都府城陽市内でバイクを使ってふとんを運搬中に誤って溝に落ち、それが基で命を落とした。
亡くなった母の遺品整理で出てきた陣中日記
それから約30年の時が流れ、母親が他界。その後、母親の遺品を整理していた時、1冊の本が出てきた。「陣中日記」と書かれており、ページを開くと、栄さんの兵隊姿の写真が掲載されており驚いたという。「親父は書き物が好きで、母親が親父が死んだ時にその日記を身内用にと印刷屋に頼んで100冊ほどの本にしたらしいんです」 この出版は上の兄は知っていたが、征平アナに知らされていなかった。「母親もみんなも私がこれを見ても読まんと捨てると思ったから言わんかったそうです」。栄さんは戦争の詳細なことは子供らに話すことはなかった。せいぜい「戦争はそんなもんちゃう」というひと言があったくらいだったという。 ただ、その中に書いてある事実は、目を覆いたくなるような内容だった。それは、1938年から翌年まで日中戦争に出征した栄さんが、水も食料もない戦地で戦い、目の前で戦友を失い、または自ら相手の兵隊を倒したことなども記されていた。