70年越しに親父を理解 桑原征平アナ「陣中日記」への思い
読めばよむほど衝撃の内容綴られた日記
その詳細が綴られた日記は、204ページの本にまとめられていた。ページをめくると最初に「京都十六師団 清水舞台阪口舞台重機関銃隊 陸軍歩兵上等兵 桑原榮」「昭和13年(1938年)5月20日応召」「昭和14年10月 帰還」と記されており、その日記の原本の写真なども掲載されている。
日記は日付ごとにくぎられ、最初は日本を離れる際に見送りに来た人、それに答える仲間らの姿から、行く先々で出会った人とのやりとりなどが綴られている。 だが、読み続けていくうちに「水もない食料もない」「全滅を狙って撃つべし」「集中掃射すれば敵軍は将棋倒しに死傷算なし」「横に居た伍長が無念、鉄甲を撃ち抜かれた」など、激しく辛い内容が延々と続く。 最後のほうでは「進むも死 引くも死」。屋根もない場所で仮眠をとった描写では「わが命はあとひと時で消えるだろうが、今なんと平和な安楽のひと時を体験することができ、こんなもったいないことが経験できるとは」などと記されており、死を覚悟したものも見られた。
70年越しで親父を理解 戦争をしてはいけない
征平アナは、この日記を見つけて以来、204ページを読み続け戦争の悲惨さを知った。そして「この事実を多くの人に知らせたい」と決意し、先の粋甘で「これが戦争だ! 親父の陣中日記」と題したコーナーを設け、昨年8月から今年3月まで、204ページにわたる日記を読み続けた。 事細かに読むことにより、リスナーから「私の父が、同じ部隊にいました」と連絡があった。聞けば、そのリスナーの父が栄さんと同じ部隊に従軍記者で付いており、撮った写真が地元新聞に掲載されていることなども分かった。その写真には、山の上で日の丸をあげる栄さんの姿もあった。 そのリスナーの父親も、戦争のことを家庭で話すことはひとこともなかったという。そんな時、ラジオから聞き覚えのある部隊の名が聴こえ、新たな写真の発見に至ったという。 征平アナは、この本を読むまで、酒乱で暴力的だった栄さんについては否定的だった。しかし、これを読むにつれ、栄さんが自分にしてきたことも「戦地でこんな目に遭って来たんや。仕方なかったのでは」と思うようにもなってきた。そして、改めて思い強く訴えたい「戦争をしてはいけない」と。