米国の人類学者はアイヌの風習をどう伝えたか? 普段は部外者に見せない神聖な儀式も目に
北海道の二風谷に滞在、1965年の8カ月間の貴重な記録、特集「消えゆくアイヌ」
馬と一緒に写っているのは、アイヌの女性と、彼女の2歳の孫娘。孫の父親はアイヌだが、母親は和人(アイヌ以外の日本人)だ。「和人と結婚するアイヌの人々が増え、世代間の隔たりが広がっている」と、1967(昭和42)年2月号の特集「消えゆくアイヌ」は伝えている。 アイヌの人々の暮らしと信仰を撮り続ける写真家、宇井眞紀子が撮影した「アイヌ、百人百様」 特集の筆者は、修道女で人類学者のメアリー・イネズ・ヒルガー。もともと北米や南米の先住民に関する調査をしていたヒルガーは1965年、70代でナショナル ジオグラフィック協会の支援を受け、北海道苫小牧市を拠点に平取町の二風谷(にぶたに)などを訪れ、8カ月かけてアイヌの風習を記録した。その成果は同特集のほか、1冊の本としても出版された。 アイヌの人々は米国から自分たちの伝統を記録しに来たヒルガーを歓迎し、普段は部外者に見せないという神聖な治療の儀式も見せてくれた。あと1世代か2世代のうちに、この儀式が忘れ去られてしまうという懸念もあったからだ。 女性が口の周りに入れている伝統の入れ墨についても、ヒルガーは意見を聞いた。ある女性は「17歳のときに嫌々入れられたけれど、今はよかったと思っている。入れてすぐに夫が見つかったから」と話した。しかし別の女性は、ほかの子が施術中に血を流して激痛に苦しんでいる姿を見て、入れ墨を断固拒否したという。「それでも夫は見つかりましたよ」 ※この記事はナショナル ジオグラフィック日本版2024年7月号に掲載されたものです。