【あの人の東京1年目】「アンジュルム」佐々木莉佳子と赤羽橋
地方出身の著名人たちが、上京当時を振り返る連載企画「あの人の東京1年目」。3人目は、ハロー!プロジェクトのアイドルグループ「アンジュルム」のメンバーで、雑誌「CanCam」の専属モデルを務める佐々木莉佳子さん。今年6月でグループを卒業し、約10年間のアイドル人生に区切りを迎える佐々木さんは、“服一家”に生まれながらも11歳で宮城から上京し、“宇宙一のトップアイドル”を目指してきました。上京して夢を追いかけた若き日の表現者たちは、新しい環境での挫折や苦悩をどの様に乗り越えたのか? 夢追い人たちへ贈る、明日へのヒント。 【写真】上京当時の佐々木莉佳子
服一家に育つも、夢は“宇宙一のトップアイドル”
出身は宮城県の気仙沼です。私の子ども時代は、自由奔放で動くことが大好きな、ザ・天真爛漫という感じ。男の子に混じってスポーツをしたり、習い事ではエアロビやいろんなスポーツをやったりと、常に外で走り回っていました。歳の離れた姉と兄がいる3人兄弟の末っ子なのもあり、我儘だし生意気だったと思います(笑)。 私の家族は、父が元々パタンナー、姉と兄がファッション専門学校卒という“服一家”。父には、私が幼い頃から「良い服を着なさい」と教えられて。小学生の頃は、同級生の子たちと違うテイストの服を着ている自分を恥ずかしく感じたこともありましたが、今考えるとすごくかっこよかったなって。私、父以上にセンスのある人はいないと思っているので、今でもコーディネートに迷ったら、テレビ電話して相談しているんです。 常にファッションが身近にある環境で育ちましたが、小さい頃からとにかくダンスが大好きで、夢はずっと変わらず“宇宙一のトップアイドル”になること。そして、当時の「女の子が持っているようなキラキラしたものが好き」「プリキュアやセーラームーンのような女戦士になりたい」という感覚は今でも変わりません。アンジュルムのメンバーとも話すんですよ、「うちらってプリキュアみたいだね」って。 東日本大震災の後は、地元のご当地アイドル「SCK GIRLS」として活動していました。当時は振り付けしてくれる先生もおらず、全部自分たちでやらなきゃいけなくて。でも誰も手を挙げないので、「何でみんなやらないんだ?じゃあ私がやります!」という感じで、幼いながら振り付けを担当しました。そんな目立ちたがり屋で怖いもの知らずな性格だったからこそ、この世界に飛び込んで来られたんだろうなと思います。