ギャグ×人情…吉本新喜劇座長・酒井藍と作家・鳴瀬冨三子「コテコテ」体現
「ここで、先に1人、舞台に出す形にしてもいいですか」「うん。それは現場でやってもらっていいよ」 【図表】稽古ドキュメント 顔を合わせるとすぐに、舞台の話になる。吉本新喜劇の座長・酒井藍と作家の鳴瀬冨三子は時に真剣な表情を見せ、時に、あははと笑い合う。 1959年、「吉本ヴァラエティ」の名で始まった新喜劇は、大きなトラブルを人情で乗り越えるストーリーに芸人たちのギャグをちりばめ、「コテコテの大阪」を体現する。65年の歴史の最前線でタッグを組むのが、酒井と鳴瀬の2人だ。
鳴瀬がテレビ番組でコメディーの脚本を書くようになったのは、97年春のこと。師匠は、黎明(れいめい)期から新喜劇を支え、1300本ともいわれる台本を手掛けた檀上茂(2019年死去)だ。 檀上の誘いでその1年半後から新喜劇の台本を書き始め、舞台の 醍醐だいご 味を知った。「観客の反応が生で感じられる。怖いけど、はまっていきました」 酒井は2007年、新喜劇の新たなスターを探す「金の卵オーディション」に合格し、入団。にこにこ笑顔とふくよかな体が醸し出す幸せオーラで人気を集め、17年、女性として初の座長に抜てきされた。以来7年、くせ者ぞろいの座員を率いて観客の期待に応えてきた。
笑いの殿堂・なんばグランド花月(NGK、大阪市中央区)やよしもと祇園花月(京都市東山区)で年間20作以上の新作を披露する重圧とも闘ってきた。今も「稽古後、初日前夜は怖くて眠れない」と言う。10人以上いる新喜劇の作家の中でも、ベテランの鳴瀬は、肌の心配をしてくれたり、キャラクターのTシャツを見繕ってくれたり。こまやかな心遣いに、心がほぐれた。 何より信頼するのが、圧倒的な経験値だ。「鳴瀬さんの頭の中には檀上先生から受け継いだものが詰まっている。何でも対応できちゃうんです」
芸人ならではの研ぎ澄まされた感覚で「面白さ」を嗅ぎつける酒井。アイデアを聞き取った鳴瀬は、翌週にはプロットを作る。全国で公演中の「65周年記念ツアー」で披露する「アイ・マイ・ミー アヘアヘウヒハー ユーは誰!?」の制作時もそうだった。 再放送の新喜劇を見た酒井から、「こんなんがやりたい」と連絡があった。1970~80年代に活躍したスター・木村進がおちゃらけた人物や男前の人物など一人で何役も演じ分けている作品。即座に「オッケー、きっとできる」と答えた。 鳴瀬が提案したのは、会社社長の娘と借金取りに追われる少女の2役を酒井が演じ、家族の愛を描く物語。意見を交わしつつ、第1稿、第2稿……と書き進め、上演ごとに改良を重ねる。